AW物語 低燃費化

 豊田英二さんが1950年アメリカを訪問した際に、アメリカは既にモータリゼーションとなっており、広大な土地に多くの車が走っている状況でした。

 日本と違って、アメリカのガソリン価格は安く、ガソリンをがぶ飲みしてドンドン車を走らせる状況でした。それを見て日本人である豊田英二さんは、

燃費の良い車を作らなくては。

と思ったそうです。それを受けてアイシン・ワーナーはマニュアルミッション(以下M/T)より当時燃費が悪いオートマチックトランスミッション(以下A/T)の燃費を良くする開発をしました。それが、

1)2速から3速のオートマチック
2)オーバードライブ
3)ロックアップクラッチ
その後、燃費向上のさらなる開発をいくつも量産化してきました。

 そのたゆまない努力で幾つもの燃費向上の取り組み積み重なり、今では欧米のA/Tと比べアイシン・エィ・ダブリュ(以下AW)のA/Tは圧倒的に優位になった。

 最初に、燃費向上に目を付けた豊田英二さん、そして其の意を汲んだ豊田稔さんは先見の目があったと思います。