谷口孝男語録 その13

社長になった谷口孝男さんが昔し語った話を書いていきます。

なかなか良い話しがあります。  その13

2003年の新任主事研修にて

■企業は人である

■「知識」を持つことが教育ではない

・教育訓練は”知識”を持つことではない。知識がある人が偉いというのはおかしい。教育訓練とは身体で学ぶこと。

耳で聞いて学んだことはすぐ忘れてしまうが、身体で学んだことは忘れない。知の領域を越えること。

・中国というと、書籍をかき集めて、知ったような顔で中国を語る。しかし中国に実際に行かねば本当に中国のことは

分かるはずがない。そうして中国に行くことで、書籍では分からなかったことを体験すると、結果実際に行ってみなければ何も分からないということが分かるようになる。身体で学んだのである。

■言葉の裏にある本質を見出す

・何かあって怒ると、「社長に怒られた」ということだけを口にする。自分が怒られたのでなく、相手が怒っているのである。

愛情を持って怒っている。1人だけに怒っているのではなく、もっと幅広く怒っているのである。

もう1人の自分がいて、「社長が怒っているぞ。なぜ怒っているのかな・%」と疑問に思うような見方をして欲しい。

言葉だけを理解するのでなく、怒って言葉を発した相手の心の内を理解すること。言葉で理解せず、気持ちを理解すること。

気持ちに本質を見出して欲しい。

・よく「知識」をもとに勝手に先入観・既成概念で前提条件を立て、分かったつもりでモノを見ようとするが、もっと視野・思考の幅広さを持って欲しい。相手の言っていることを認め(但しすぐ反応しない)、奥の「思考」を捉え、幅広くものごとを考えるようにすること。

・「革新」というと、その言葉だけが飛び交ってしまい、革新の言葉の裏の思想が伝わっていない。役員や部門長クラスが「革新」という言葉を噛み砕いて下に伝えていない。土管を通って下に流れているだけのように見える。言葉で理解するのではなく、その裏の本質を考えることが重要。

■会社は人の身体そのもの

・右手をケガした時、人は困る。ではそのケガの手当は右手自身がするだろうか。おそらく左手がケガの手当をするはず。

では今の組織ではどうか。生産部門がケガをした時、生産部門が手当をするというのが前提になっていないか。会社がケガをして困っているならば、なぜ左手(たとえば技術や生技)が手当をしようとしないのか。そこに壁の厚さを感じる。

・一体の身体を見ていると、手足つながり感は見え難いが、仮に人の右腕を切って見た時、初めてそこに骨や血管や神経といった、強固なつながりがあるということがわかる。会社も機能で分けた時には、そこに強固なつながりがあるはず。機能で分けるのは、そのつながりを見えやすくするためである。

■子供心を持つ

・子供は予備知識がゼロで、素直に分からないことや疑問が出てくる。大人になって変に知識を多くつけると、「知らないこと」を「知らない」と言えないのである。それの何が悪いのか?「知っていることを知っている」といって何が良いのか?

大人は「分かっているつもり」になって疑問が湧かなくなる。すべて当り前とか普通のこととして片付けてしまう。子供は何も知らないために新たなことへの感動が多く、それで血が騒ぎ、元気の源となる。その心を今一度持てるようになって欲しい。

・また、大人は疑問が湧けばすぐに解決しようとする。答えはすぐに出なくても良い。ただ「こうしたい」という気持ちで突き進む素直さも必要。全社監査でも「何をやったか」ではなぐ何をやりたいか」ということについて皆の話を聞きたい。

■結果を目的としない

・利益が出ただけでは嬉しくない。「これこれこういうことをやって利益が出た」ということを聞くと嬉しい。利益は結果にすぎない。

そのプロセスがどうであったかが重要。

■夢を持った提案型の人材へ

・社長が「革新」と言っていても、「言わせておけ。俺達はもっと重要なことに直面している。それを社長にわからせよう。」という発想が欲しい。昔は「直訴するぞ」という気概があった。今は皆従順になりすぎている。言われたことをやるのではなく、「こうしたい!」という夢を持った提案型の人材になって欲しい。

カテゴリー: AW

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