タイ人の忖度

忖度はどこの国の人でもしているはずであるが、その中でもタイ人は忖度の度が大きいというか深いというか私、日本人からしても配慮しすぎではないかと思う。

タイ人は特に目上の人に対して忖度をしている。それは尊敬の表れだと思うが、目上の人に対しての恐れもあると思う。

日本人である上司が機嫌を損ねないように。または怒ることのないように忖度している。

その忖度が日本人からすると間違っている場合がある。

こんなことがあった。

品質保証を担当しているタイ人の責任者Aがいた。その上の日本人BはAに対し毎日

「問題は無いか。」と尋ねていた。

Aは「問題ありません。」と答えていた。

しかし実際は納品した製品が不良で問題があった。また客先から対策書の報告書も求められていたが提出をしていない状態であった。

さらに、顧客からサプライヤー評価をされて悪い評価を受けていた。

Aは全て自分一人で握りつぶしていた。

Aとしてはこのようなことを日本人の上司Bが知れば、機嫌を損ねてしまう。さらに怒ってしまうと思い、伝えない。忖度している。

日本人は、“悪い情報ほど早く知らせる事”と教育しているが、タイ人Aはまずは上司の機嫌を忖度していた。

これは常識のズレである。常識のズレほど厄介なものはない。

常識がずれていると片方α当たり前でやっていることが、もう片方βとんでもないことであり、またもう片方βも片方αからするととんでもないことをしている。

お互い相手からしたらとんでもないことをしているが、お互い当たり前だと思っているので報告もしない。

するとある時それが発覚して取り返しのできない状態までになっている。

それが忖度に表れている。忖度だから気づきにくい。 そのズレを解消するにはコミュニケーションが重要である。それは勤務中だけではな

調達(購買)とは

調達の活動がどうやらふらついているようだ。

調達の基本を教える人がいなくなり、他部署から調達の本筋を知らない人が来て荒らして、さらに新人が入り調達の心得がないままベテランになり調達の目指すところが分からなくなっているようだ。

やはり調達のベテランが「調達とは」を伝導していくべきでは。

私は先輩から調達マンがいなくてもやっていけるのが目指す調達の姿だと教えられたことがある。

よくQCDを確保した物を調達するのが調達の使命だと聞くが、

Qについては仕様を設計が決め、その使用に対して守られているかどうかを検査が確認にしておりサプライヤーがちゃんと品質を守れば調達は出る幕無し。

Dについては納期は生産管理、工務が決め伝票を発行しその通りにサプライヤーがちゃんと納品すれば調達は出る幕無し。

Cについては、実はここだけは調達が主体性をもって活躍する場である。コストが下がれば下がるほど会社はもうかる。逆にサプライヤーからすれば売値を上げたい。サプライヤーと意思と調達の意思が衝突する場である。

つまりサプライヤーがQとDを守って物を造って供給すれば残りはCだけである。

調達マンに労務費が発生するがその労務費がCに値するか?Cの成果が無ければ調達マンは不要では。したがって、調達マンはいつもCの成果を確認すべきである。

例えばリピートの量産品がリピート価格から下がって数量と掛け合わせるといくらの効果額になったか。

または、新規品が出てきてベースの類似品に対していくら下がり数量(企画台数)と掛け合わせるといくらの効果額になるか。

または、サプライヤーが値上げしてきた。値上げ申請額に対していくらで押さえたか。

などで調達マンの労務費に対する評価ができる。

また先輩から教えてもらったことでは、サプライヤーからしたら相談できるのは調達だけであるから調達マンは必ずサプライヤーの見方になること。

品質問題なので社内のいたる部署からサプライヤーが責められることがあるが、そういったときサプライヤーが相談できるのは調達だけである。そんなときの他の部署と同じようにサプライヤーを責めてサプライヤーはよりどころがなくなりってしまい去ってしまうしかなくなる。そうならないように調達だけはサプライヤーの見方になるように。

またこんなことも良く言われました。

「アンテナは高く腰は低くする。」

「軸足はブレるな。」

調達という部署は社内から色々いわれ振り回されがちだが、やはり信念をもって軸を曲げない事だと思う。

今のままだとさらに調達がふらふらと彷徨い信念のない集団になりそうである。