谷口孝男語録 その11

社長になった谷口孝男さんが昔し語った話を書いていきます。

なかなか良い話しがあります。  その11

次に七面鳥の話しですが、これはアメリカの話で、新婚の奥さんがクリスマスの時に七面鳥をオープンで焼いていたそうです。ももが一番うまいのに、ももを切り落として焼いていたそうです。

それを見た旦那が「なぜそんなことをやっているんだ、もったいないではないか」と言ったら、奥さんは「うちは昔からこういうふうにやっているんです。何を言うんですか。何ならお母さんに開いて下さい。」と文句を言うもんだから、且那はお母さんに電話したそうです。「お宅の娘さんはももを落として焼くんですよ」と言ったら、お母さんは「何を言うんですか、そんなの当たり前ですよ。うちはおばあちゃんからそう教わってきたんですから。」と言うもんだから、今度はおばあちゃんに電話したそうです。

そうしたらおばあちゃんは「あなたの言うとおりです、うちの娘はそんな変なことをやっているんですか」と。旦那は「おばあちゃんがそうしなさいといったそうですよ」と言ったら、おばあちゃんは「私はそんなことは言っていない、昔のオープンは小さかったから、ももを落とさないと入らなかったから、落として焼いていただけです」という話です。

というのは、これはこうだと思いこんでいることが、何でそもそもこんなことをやっているのかというのを考えないといけないということです。

稟議書に印鑑をべたべた打っているが、何でこんなにたくさん打たないといけないのかも時々は考えないといけないし、くだらん会議も「これはやることになっていますから」というのでなく、考えないといけない。否定するわけではないが、何でそうなっているのかをわかった上でやらないと、やることになっているからでは幅の狭い人間になるということです。

次はSHOW & TELLの話しです。アメリカでは幼稚園や小学校の教育に、家からなんでもいいから持って来なさい、おもちゃでも何でもいいから。そして、おもちゃを見せながら自分が何を感じているかを説明するわけです。私の言うSHOWというのは見えるもので、TELLというのは見えないものだと思うんです。見えるものを使って見えないもの、自分の考え方とかを訓練しているそうです。

次は野球とサッカーの話しです。最近サッカーが活気を帯びておもしろい。それに対して野球がつまらなくなったと言われていますが何故でしよう。ある子どもに聞いたら、野球はサインだらけだと言うんです。ピッチャーは監督の言うとおりにやっているんです。サッカーは監督のサインは届かない。試合になると本人にまかせつばなしなんです。結局、管理野球になっているんです。だから、管理をそのように捉えるとだめなんです。I会長がパリで講演された時もTQCではなくTQMになっていました。

ヨーロッパでは今、Cはコントロールとか統制とかいう悪いイメージを与えるということでM、マネージメントに変えているそうです。

だから私は、本来管理とは裏には徹底的なディスカッション、徹底的な訓練をやるけれども、いざ本番になると担当者が自由に伸び伸びとやれるように訓練することがTQCではないかと、本当の管理ではないかと感じています。

特に技術開発は創造性が大事ですから管理してできるものではないと思います。

谷口孝男語録 その10

社長になった谷口孝男さんが昔し語った話を書いていきます。

なかなか良い話しがあります。  その10

次に一升ビンの酒という話しがあります。一升ビンに酒が半分はいっています。その時どう思いますか。

半分飲んでしまった、もう半分しか残っていないと思うか、まだ半分残っていると思うか、同じ一升ビンを見ても人によって逆に見えるということです。

残業規制があって、平均10時間以内に押えよという指示が出ていて、人事部が毎月運営委員会で報告しているんですが、技術部はまだ他に比べて残業が多いんです。10時間以内に押えないといけないのに、今までの実績はこうで、先月はこんなに減りましたと報告している。これではいけないんです。10時間が目標なんですから。一見これはよくやったように聞こえるが、よくやっていないんです、本当は。10時間という目標に対してやらないといけないんです。

どこの会社にも品質問題があるでしょう。97~99%は良品で、残りの1%とか3%が不良でしよう。その1%、3%で社長以下大騒ぎしているでしょう。品質保証部は99%も良品を作ってくれてありがとうとは言わないでしよう。

物の見方によって違って見えるんだから、少し違ったところからものを見る癖をつけてほしいと思います。

次に捕虜の話しというのは、故豊田名誉会長が生前に話されたことです。名誉会長が戦争中に敵に捕まった時、四面とも柵で、兵隊が四六時中見張りをしていたそうです。名誉会長が兵隊にいったそうです。「我々のために見張りをやって大変だな」と。すると兵隊は「私はあなたたちが逃げるのを見張っているわけではない、もし私たちがここにいないと住民があなたたちを殺しに来ますよ、我々はあなたたちを守ってあげているんですよ」といったそうです。だから、同じものを見てもまるで反対に見えるということで「君たちも、良くものを見ないといけないよ」と言ってみえました。同じ現象でもまったく反対に見る人もいるということです。

これも、M副社長の話ですが、「当社は3割も離職するんですよ」と言ったら、「3割か、それはいいな」と言うんです。台湾だと100%だそうです。100%替わるそうです。物の見方は違うんです。増えたからいい、減ったからダメだとか、大きいからいい、小さいからダメだとか簡単に観念的には決められないと思います。

谷口孝男語録 その9

社長になった谷口孝男さんが昔し語った話を書いていきます。

なかなか良い話しがあります。  その9

レジメに・・・・と・・・・という並びになっていますが、左の方が係長の時の姿で、右の方が課長になったら自分自身をシフトしてほしいと思っている姿です。考え方だけで結構ですから。あるいは時々考えてほしいと思います。源流管理というか、見えないところに遡ってほしいという考え方です。

1万円札の話しというのは、1万円札が道に落ちていたとすると、皆さんはどうしますか。

拾って逃げるでしよう。それではダメです。悪いことをしたからダメだと言っているんではありませんよ。そんなスケールの小さな人間ではいけないと言っているのです。

1万円落ちていたらもう2~3枚落ちているはずだと思って探す。それが、管理者というわけです。というのは、1万円札は見えたから拾ったわけです。自分の意志は入っていません。最近金が足りない、金がどこかに落ちていないかなと思って歩いていて見つけたのなら、それを拾って走って逃げても構いません。なぜなら。自分の意志で拾ったんだから。

ところが、目に見えてから1万円札を拾ったのは、目に見えなかったら拾ったんですね。仕事もそうです。誰かに文句言われたからやった。そしていい結果を出した。

もし、その人から言われなかったらやらなかった。そんなのではダメだといっているんです。1万円札が落ちていてそれを拾ったら、もう2~3枚落ちていないかと思って探す。

これは自分の意志でやるんだからいいんです。だから、自分の意志でものを見ないといけない。自分は何をしようと常に思っていないと、同じものを見ても達って見えるということです。

例えばA/Tでギアノイズが発生したとします。D型人間のやり手の人間は、よし、俺がプロジェクトリーダーになって解決してやるといって対策本部を作り、その長になってパパーとやる。それがD型人間の典型です。 こんなのは若手の専門家が集まれば解決できるもんです。技術的難しさはあるかもしれませんがね。そんなところに部長や重役が行ってガーガー言っても何の役にもたちません。管理者は1つの問題が発生しているのなら、

谷口孝男語録 その8

社長になった谷口孝男さんが昔し語った話を書いていきます。

なかなか良い話しがあります。  その8

次のD型人間とC型人間の話しも同じです。朝香先生にも食いつこうと思ったんですが、PDCAを回せと言ってみえますね。御存じですね。しかし、Pからは入れるわけはないんです。何をプランしていいのかわからないんですから。

私はPDCAではおかしいと思っています。Cがありますね、アクションとはアクションプランを立ててDoをすることです。私が言いたいのはCから姶まるということです。プランというのは実際は現状把握し、チェックしてプランを立てるのがプランだと言っているんです。私はCPDだと思います。

D型人間というのはやるぞと言ってやるタイプ。C型人間は、おい、そういうことをやって本当に良くなるのか、もっと他にやることがあるんではないかと考えるのが C型人間です。

すなわち、チェック(評価)と呼んでいます。それでいいのかということです。「例の件の対策はできたか」と聞くと、部下は必ず「今、試験をやっています」と言うわけですが、これは漫才みたいなもんです。一番いけないのは何もやっていないのに「検討中です」という人がいます。検討中というのは何もやっていないんですよ。何かやっていれば「何をやっています」と言うんです。ただいま検討中というのは何もやっていませんということです。

私は「例の対策はどうなった」と質問した時に、「今試験をやっています」という答に対しては怒るんです。「試験をやっているんですが、まだ答が出ていません」とか「まだ対策できていません」という答が欲しいんです。そう答える人の方がよっぽど頭がいい人だと思います。

ところが、「やっていません」ということはロが裂けても言いませんね。「何かをしています」と必ず言います。違いますか。肝心なことはぼかして、他のことを言うでしよう。

例えば「昨日は徹夜しました」とか。「昨日徹夜しましたから、明日には解決します」というのならいいんですが。だけど、「昨日徹夜しました」「ああそうか、ご苦労さんだな」では何が何かさつばりわかりません。

C型人間というのはそういうことです。最近、アイシン精機からM副社長がみえましたが、Mさんは完全なC型人間でして、「こういう設備が買いたい、最新銃の高速回転です」と。すると、「おい儲かるのか」とくるわけです。「いえ、これはものすごく高速回転で世界初ですわ」「いや、儲かるのかと聞いているんだ」というわけです。設備がいいのはいいが、その設備で何をやって、その結果会社は良くなるのかと聞いているんです。

ところが、言っている方も何を言っているかわからないわけです。「一万回転で回ります」とか「モーターはどこに使っていまして・・・」とか、そんなことはどうでもいいんです。儲かるのかと聞いているんです。

技術だと本当にこの機械を入れると品質は良くなるのかと言うのがC型人間だと思います。だから、やることよりもやったあとの姿を絶えず見ること。「試験やっています」というんだったら、「試験やったら結果が出るんだな」と。「V社へ文句の依頼状を出しました」なら、「依頼状を出したら向こうから返事がくるんだな」と。返事が来るまでは信用できないといいたいわけです。これがC型人間です。

谷口孝男語録 その7

社長になった谷口孝男さんが昔し語った話を書いていきます。

なかなか良い話しがあります。  その7

もうひとつの例でいえば、揺れている舟と止まっている舟という話しがあります。これも私が考えたんですが、ここに小舟がいます。この舟が揺れています。これを見た人はどうするかというと、ぱっと飛び乗って揺れないように安定させるわけです。

これは西部劇で暴れ馬が来た時と同じです。そうやって解決します。1漕の舟だけならそれで解決できるかもしれませんが、たくさんの舟が揺れていたらそんなことはできません。人が1人溺れていたら飛び込んで助ければいいが、100人の子どもが溺れていたらそんなことはできませんね。

こういうのがいけないといっているんではなく、これは個の概念だと言っているんです。この舟が揺れているというのがわかれば誰だって動くと思います。ベテランでなくても、新入社員でも動くと思います。

我々にとって大事なのは、むしろ、揺れていない舟を揺らすのが課長の仕事だと思います。すなわち、一見揺れていない、しかし、ちょっと波が来るとひっくり返るかもしれない。揺れさして揺れたらこちらへ渡せばいいわけです。これが先手管理です。

揺れてから課長が走っているのは、子どものサッカーと同じです。子どものサッカーではボールがいった方向にみんながドーと走っていきます。ボールを迫いかけてはいけないのであって、ボールが来そうなところへ行かないといけないわけです。

トカゲのしっぽもそうです。しっぽが切れてピョンピョン動いている間に本体はもういなくなってしまっているんです。

課長というのは問題を作って渡したら、もう次の方向へ行かないといけないんです。この問題にこだわってはいけないんです。この問題はもう係長に任せたんだからある程度任せておいて、しばらくしてから「おい、あの問題はどうなったか」と聞けばいいんです。わかりますか。

揺れていない舟を揺らそうとしても揺れないかもしれません。揺れないと無駄なことをしたことになります。だから難しいんです。だから、評価が難しいんです。揺れている舟を止めるのがいけないといっているんではなく、それは一番重要ですよ。しかし、係長以下に任せなさいといっているんです。皆さんも係長の時はこれを十分やっていたんですから。むしろ課長にはもっと大きなことをやってもらいたいと思っていたんではないですか。ところが、課長になってみると、いぜん係長の時と同じことを考えているでしょう。

谷口孝男語録 その6

社長になった谷口孝男さんが昔し語った話を書いていきます。

なかなか良い話しがあります。  その6

次に左と右という話しをします。製品とか設備とか目に見えるものがこちらの左側にあります。金を運用した結果があります。右側は金の出所が書いてあります。例えば短期借金とか、長期借金とかがあります。普通左側は見えるんですが右側は見えません。隣の家が新築しても新車を買っても、借金して買っているかもわからないわけです。

見かけで金持ちかどうかはわからないんです。だから、右側を見ないといけないんです。会社の体質を見る時にも、裏を見ないといけないんです。当社みたいに立派な本社ビルが建ったから立派かと思うと、実は借金だらけなんです。アイシン精機は減収減益だといいながらも含み資産はたくさんあるんです。当社なんか物が売れなくなったら給料が払えなくなるんです。だから、右を見ないといけないということです。

右、すなわち見えない方を見るくせをつけようということです。左は氷山の一角で右の方が大部分なんです。左は係長以下でも誰でも見えるんです。見える物は多少もたもたするかもしれないが新入社員でも対策できます。

すなわち、テーマがはっきりしていれば対策できます。右の見えないものに注意を払っていこうというのが左と右の話しです。

受信と発信の話しも見えるものと見えないものも同じです。右は誰も言ってくれない、先手管理、発信、自分の意志などです。

皆さんも自分の意志、考え方を出してほしいと思います。それがリーダーの仕事だと思います。リーダーの仕事というのは自分の意志を出すこと、すなわち目標、この目標というのは意志決定なんです。これでやると決めるわけです。決めるところに自分がいるわけです。決めたことをやるのは係長以下に任せるというふうに考え方を一度切り替えてほしいと思います。部長側に着くということです。

そして、この目標では不満だとか、部長!この目標でいいんですか、もっと大きな目標を出さないと会社としてはダメなんじゃないですかと、自分の部の名目を保つためにはそれでいいかもしれないが、 会社にとってはもっと大きな目標を出すべきだとつっつくのが課長として必要だと思います。

谷口孝男語録 その5

社長になった谷口孝男さんが昔し語った話を書いていきます。

なかなか良い話しがあります。  その5

今日は具体的な話よりも、物の見方・考え方について話してみたい。何をどうするかと言うのは早過ぎると思うので、その前の段階、すなわち現在をどう見るかと言う訓練をしないといけないと思います。

TQCを勉強してQCセンスは皆さん身についていると思います。しかしTがつくと、TはトータルのT、すなわち全体のTであり、トップのTでもあります。トップと全体はイコールであるわけですが、このTのセンスがなかなか難しいわけです。

前述の上司の立場を考える訓練をしているとTのセンスは身につくわけです。社長の立場を考えてものを見ているとTのセンスは身につきます。

我々は不幸にして担当から上に上がってきているので、私は入社したら社長にしてやってやったらTのセンスが最初からつくのではないかと、そうすれば担当になった時、ものすごくやりやすいのではないかと、こう思うんですがね。下から上がっていくのでいけないのではないかと。Tのセンスと言うのはこのことです。全体を見ると言うことです。

それから、本質を見よう、見えないものを見よう、未来からものを見よう、外からものを見よう、ということについて今日は雑談を交えながら話していきたいと思います。

ここで息抜きして、戦鬪機とレーダーという話しがありますが、これは自分で考えた言葉で、現場を見ていて苦しんだあげく私がいつも言っている言葉なんですが、レーダーというのはクルクル回っていて、敵機が写ると、「それ!敵機だ」といって走り出すわけです。戦闘機に乗って敵機を落とそうとするわけです。

皆さんもほとんどそういったタイプではないかと思います。問題があるとすぐレーダーから離れて、自分がリーダーとなって問題対策に頭が行ってしまうでしょう。そうではありませんか。その時敵機が来たらどうしますか。

だから、管理者というのはレーダーから離れてはいけないんです。敵機に対策するには係長以下がいるんです。係長以下に任せてほしいと思います。自分はレーダーのところにいるべきです。

ただし、管理者といっても本当は課長ではなく部長の役割だとは思いますがね。すなわち、ある部屋に作戦室というのがあって、そこに世界地図があって、世界のマーケットが広がっていて、椅子に座ってグルグル見回している。

例は悪いんですが、品質問題が出たとします。トヨタからミッションが壊れたのでどうしてくれるとか、市場で問題が出たというとリーダーと走り出すわけです。おそらく皆さんも走り出すと思います。自分の責任だから。走っている間この問題は解決の方向に行くんですが、その間に次の問題が出つつあるかもしれません。

これをどうやって見つけるか。私はこれを後手管理と言っています。受信と発信という話しがありますが、これは受信です。問題を言われたから対策をしているんです。皆さんが係長の時は受信管理です。何か言われたらやる。目標を与えられたら目標通りやる。目標をいかに効率よく、早く、的確にやって、目標を達成するかということだったと思いますが、これからはこの目標でいいのかという立場でものを見てほしいと思います。すなわち、目標を作る側に立ってもらいたいと思います。

谷口孝男語録 その4

社長になった谷口孝男さんが昔し語った話を書いていきます。

なかなか良い話しがあります。  その4

私が部長クラスの時に、痛感して自ら実残してきた自分の役割というのを自分なりに当時絵にしたものがありあます。

ここに中間管理者Aがいます。ここに上司Bがいて、ここに部下の係長以下Cがいます。そうした場合、自分の役割は何だと私が考えたのは、この上と下の間にあるということ、上が何を考えているのかを絶えず上とコミュニケーションをはかりながら、上司の方針とかを自分なりに明確にするということです。

上司も無意識のうちに考えているのですが、具体的に言ってくれない場合が多いわけです。だから聞き出すわけです。これはここに置いておきます。一歩こちらに下りてくるわけです。現場をうろうろ回って、現場でお前ら何でこんなことやっているのだと、あとで何が問題だろうと現状把握をする。

上司が期待していることとやっていることのギャップをここにぶつけることが中間管理者の役割だと思います。上司が考えているとおりに部下は動いていない。

これを私は中間子理論と呼んでいるのですが、またあとで説明します。すなわち、ここAは全く意見を持たない黒子に徹しないといけないわけです。この人Bが何をやろうとしているのかを考えるわけで、自分Aが何をやろうかというのはひとつも入っていない。黒子、参謀、知恵袋といったものの善し悪しによって、この実力が発揮できるのではないかと。

大統領が全ていろんな方針を出すわけではなく、ここにいる者Bが作文し、提案してやっているわけです。あなたがたは今ここAにいるわけですから、自己主張を少し押えて会社として、部としてどうあるべきかということを自分を超越して見なければいけないわけです。

これは非常に難しいことです。すぐに自分を主張したくなるものです。自分はこう考えているとか、自分のテーマにしたいとかにどうしてもなってしまいます。そうすると部の役割とかは見えてこなくなるわけです。

ここに上司Bがいてここに部下Cがいます。今までの職制ではここに中間管理者Aがいることになっていると思います。おそらくどこの職制表を見てもそうでしよう。これはいけないと私は思います。この上司Bの考えがすばらしかったとします。この中間管理者Aがこの上司Bほどスケールが大きくなかったとすると、この中間管理者Aがどういうことをこの部下Cに伝達するかというと、この考えを小さく縮小してここに伝えるわけです。自分の考えに置き換えて。

そうすると、ここ上司Bがすばらしい考えを持っているのにここ部下Cに伝わっているのはちっぽけなものになってしまいます。逆にここの苦情とか、いろんなものをここ中間管理者Aに上げた時にこの中間管理者Aがとろいと、この苦情がここ上司Bに上がっていかない。

それならこんな中間管理者Aはいない方がいいと思うわけです。そうすると、この上司Bの意見はここ部下Cへズバッといくし、この部下Cの考えもこの上司Bにズバッと上がります。これがいわゆるトヨタがやっているフラット化の原理ではないかと思うわけです。

それで私の職制表はこれだといっているわけです。ここに中間管理者Aがいる。すなわち、この上司Bが部下Cを使って展開しているのをそばから客観的に見ているわけです。そして、おかしいと思ったことをここへ指示しているわけです。この訓練をしてもらうとおもしろいと思います。そうすると、この中間管理者Aはずるいじゃないかと思うでしょう。自分で意志を出さないからこの上司Bの意志がここに展開する。

しかし心配しなくてもいいんです。この上司Bにはまた上司Eがいるわけです。この部下Cにはまた部下Fがいるわけです。そうすると、この担当Fとこの係長Cと中間管理者Aの関係を見ると、この係長Cが黒子にならないといけないわけです。すなわち、中間管理者Aが意志を出して担当者Fに言う。こうやっていけばずっと上まで展開できるのではないかと。

すなわち黒子説なわけです。これを私は中間子理論と呼んでいるんです。中間になった人が大事なので、このひとつの現れは、日本語のわからないアメリカ人と英語のわからない日本人がコミュニケーションをしようとした時にできないわけです。そこで、通訳が間に入るとコミュニケーションができるわけです。通訳がいるから2人が生きてくるわけです。

皆さんはその位置にいます。非常に重要なところにいるわけです。朝香先生からもトップとのパイプとか、いろんな言葉で言われて、私もわかっていたような気でいたのですが、いろいろ考えてみると、 こういうことだったんではないかと思います。これを一度実残してもらいたいと思います。

欲を出すとできません  自分が消えるわけですから。上司Bを立てて自己主張を抑えるわけですからね。

この訓練をすると、自分が上司になったらどういうことをやるべきか既にこの時知っているわけです。この時部長の訓練をやっているわけです。俺が部長にだったらこういうことをするということを含めて訓練しているわけです。部長になった時に楽ですよ。今度は重役と課長のことを考えればいいわけですから。

あなたたちも課長になったから課長の仕事をやるのではなく、課長の仕事ができるから課長になったんですよ。頼みますよ。そのへんを頭にいれて頂きたい。「俺が部長になったら部長の仕事をしつかりやる。今の部長はたるんでいる。」と言っている人は部長になっても部長の仕事をやらないものです。わかってくれますか。

谷口孝男語録 その3

社長になった谷口孝男さんが昔し語った話を書いていきます。

なかなか良い話しがあります。  その3

私はこの頃はまだ新入社員で、そして77年のデ賞の時に課長になってデ賞で発表させられて、N賞も全面的に発表させられて、この間にPM賞・PM特別賞があり、これも前面的に発表させられて、91年のN賞パートⅡでも発表させられました。合計5回発表してきているのですが、その時はよしわかったと思っていたのですが、回が来るごとにまだまだレベルが低いなと実感し今日まで来ているわけであります。

ということは、先はどんどんあってレベルを上げる余地は十分ある。また上げなければいけないことだと思います。

だから、挑戦的なものを持たないと、まあまあで行こうと思っているとおそらく10年も経てば相当差がついているだろうと思います。まあまあでもいけるんですよ。だいたい仕事というのはまあまあでもいけそうです。まあまあでも悪いことをしているわけではないし、たるんでいるという見方もされない。よくやっているという見方もされるんですが、10年経って見ると大きな差が出てくるような気がします。

だから、チャンスがあるなら集中力を出してその場その場でものにしていかないと、あとでゆっくりものにしいくわけにはいかないような気がします。今日こういう研修会も息ぬきと同時に、色んな人がいて、色んな考え方があるというのを実感するということで非常に重要なのですが、何か1つか2つは身につけて帰らかといけないと思います。ここで聞いたことをあとで思い出して、現場に帰ってから実践しようということは不可能だと思います。

従って、この場で何かをつかみ取って頂かないといかんのではないかと思います。最もそれをつかめるだけのいい話ができるかどうかは別ですが。色んな人がいるし、色んな考え方がありますし、自分が日頃考えていたのと違う考えもございますので、そういう世界があるということを実感として体得して頂きたいと思います。

私が技術開発ばかりやってきたのでこういう話になりましたが、できるだけ技術開発だけでなく、他のことも話をしたいと思います。これは私のことではなくうちのトップの話ですが、技術、技術者とは何かといった場合に、うちのトップに言わせると「お客に初めて役にたった時が技術だ」といっています。

だからずっと研究していてもなにも世の中に出なければ、それは研究者でもなければ、技術者でもないというようなことで、非常にきつい言い方をするわけです。というのは号ロになって顧客に売れた瞬間にこの件についてはもう技術屋でなくなっているということです。次の技術屋なるためにはまた次のものの開発に入らないと次の技術屋ではないという、考え方として非常に厳しい教育をされてきたわけです。

例えばエジプトのナイル川が氾濫した時に、堤防が決壊したら大変なことになる。町が全滅するわけですが、その時に決壊するのを防ぐ技術に着手していたのでは遅いんです。堤防が決壊するのを防ぐ技術の開発に10年かかるのであれば、10年前に開発に者手しなければならないわけです。しかし、堤防はいっ決壊するのかわからないわけで、わかっていれば10年前に着手するわけです。それが研究開発の難しさだと私は思います。

これは考え方ですが、アイシン・エィ・ダブリュのA/Tは国内9社、海外9社へ納めていて、A/Tとしては世界をリードする立場にあるわけですが、なぜこんなところまできたのかなということを豊田名誉会長、諸戸会長のいろんなやり方を振り返ってみると、やはりここが重要だと、「トップが強い意志、高い目標を持続していた。」ということだと思います。

それとそれをまともに受けてリーダーがまじめにやってきて、それがずっと下まで展開してきているのだと思います。トップというのはリーダーの最頂点ですが、皆さんも課長になられて、ある範囲のリーダーですからリーダーのあり方を今後考えてもらわないといけないわけです。

谷口孝男語録 その2

社長になった谷口孝男さんが昔し語った話を書いていきます。

なかなか良い話しがあります。  その2

当時のおもしろい話はあまりないのですが、いろいろ記億に残っている話としましては、とにかく12名でスタートしたわけですが、図面がまだ完全でありませんでした。しかも完全な図面がないままで生産準備をしなければならないという状祝でした。

ボルグワーナーは図面をあまり見せてくれないので、最初私と諸戸会長でアメリカのボルグワーナー本社に行った時は試作品の現物しか見させてくれない状態でした。その時突然、諸戸会長がその試作品に紙を乗せて色鉛筆でこすってやると、クラッチの大きさとかがわかるわけです。それを日本に持ってきて、私が勝手に図面にして、部品図を作って社内にばらまいてスタートしたというようなことがありました。それで成功したわけですが、成功した理由は3つくらいあると思います。

一つは故豊田名誉会長がオートマチック車は今後伸びると信じ込んでみえた。いわゆる先見性です。当時トヨグライドを作っていたわけですが、トヨタの搭載率はたしか1~2%位の時だったと思います。今は80%を越えていますがね。豊田名誉会長の先見性に確固たるものがあったということ。

もうひとつは諸戸会長の強力なリーターシップがあったということ。何が何でもやるんだという我々アイシン精機からこちらにきた人間で、トヨタとボルグワーナーの協力を得ながら、何が何でもやるんだという強い意志、高い目標があったということです。

それとあとひとつは、私はその当時新入社員に近かったわけですが、若い人達が何も考えずに一心不乱についていったということではないかと思います。

いろいろエピソードはあるのですが、例えば諸戸会長なんか負けず嫌いですから、当時アメリカはアメリカ、イギリスはイギリスで同時に開発をしていたわけですが、英文でレポートを書きました。私も日本語で書いて訳するのではなく、間達ってもいいから全部英文でレポートを書きました。それをどんどんアメリカに送りました。もともと欧米は日本をたいしたことはないと蔑視していましたからね。いろいろやるうちに、どうもアイシンワーナーは本気になっていると、そう見くびれないなと向こうは思ったと私は思うのです。確かに個々の技術は負けていたのですが、品質保証の考え方とか、そういうものでは我々の方が勝っていたような気がします。

1 9 7 2年に3速A/Tを出して3年くらいで4万台の生産ラインを作ったわけですが、ここでピンチが来ました。第1次オイルショックでオイルの値段がとても高騰し、さらに第2次オイルショックでさらに高騰したわけです。我々が3速A/Tを出して4万台の生産ラインを完成させた後、たいへんな難局が来たというわけです。 そこでオーバードライブ機構を企画したわけですが、このオーバードライブがオイルショックの時期にぴったり合って全世界を制覇したわけです。その後ロックアップですが、コンバータを直結するタイプで、これも燃費が非常に良く、これがまさにこの時期に一致して非常にヒットしました。その後ECTときて、現在FFの流れが来ているわけです。

谷口孝男語録 その1

社長になった谷口孝男さんが昔し語った話を書いていきます。

なかなか良い話しがあります。  その1

「若手管理者としての今後やるべき仕事とは」
(’ 94.5.25若手管理者研修会にて)

次期若手管理者が一同に集まって議論する機会はありそうでなかなかないので、できるだけこういうチャンスを有効に活用された方がいいと思う。

今回は日頃考えていることをざっくばらんに話していきます。

まず最初に、私の入社以来の経緯について話しておきます。私は愛知工業に最初入りまして、すぐアイシン精機になりまして、その後3~4年してボルグワーナーとアイシン精機の合弁会社であるアイシンワーナーというオートマチック専門の会社へ移りました。入社以来、オートマチックの開発、設計をずっとやってきたわけであります。そして、現在に至っているわけです。

最初アイシンワーナーができた時には、アイシン精機から移ったわけですが、技術部は諸戸会長以下、女性を含めて12名でスタートしたわけです。12 名で何をやるのかと、アイシン精機の方は「ボルグワーナーから技術導入してやるのだから、技術部はボルグワーナーの図面をコピーしておればいいんだ。コピーして名前のところだけ張り替えてやっとけばいいんだから、その位の人数でいいだろう。」ということでした。

しかし、我々としてはアイシン精機から出た以上、しかもトヨグライドの特許の閑係もあって、トヨグライドがボルグワーナーの特許に引っかかるのでどうしても合弁会社を作らないといけないというわけで作って、それが最初から4万台の工場を作るという壮大な計画で入タートしたのですから戻るに戻れないわけです。

しかも、いくらボルグワーナーの導入技術だといったって本当にうまくいくかどうかということで大変だったわけです。それでまず人集めから始めて、エンジニア集めから始めてやってきたわけです。そいうふうに会社ができたのが1 9 6 9年で、最初の3速のオートマチックトランスミッション(以下A/T)製品ができたのが1 9 7 2年ですから、わずか3年くらいしかなかったわけです。

その間に4万台生産の工場建設、開発、設備調達を同時にやらなければならなかったわけです。今から思うと、あの時はベクトル合わせとか全社一丸とかいう言葉はひとつも使わずに全社一丸となっており、ベクトルも合っていました。

あの時が仕事は忙しかったのですが精神的には安定していたような気がします。今の方がよっぽど精神的には不安定です。ごちゃごちゃと余分な情報が入り過ぎて精神的には苦しいです。そういう意味では、こうしたはっきりしたひとつの目標があるということは仕事がやりやすいなと思います。だから、トップの方は鮮明な確固たる目標を出さないと下が動揺するし、考えが変な方向へいってしまう。あるいは色気が出てくるというような、おかしなことがいっぱい出てくるようになると思います。会社が大きくなればなるほどそういう傾向があるのではないかと思います。

アイシン・エイ・タブリュも最近大きくなりまして、従業員数5 , 0 0 0名、売上高3 , 0 0 0億円という大きな会社になりましたから、ある意味では今が大事な時だと思います。

AW物語 BWとの合弁編

アイシン・ワーナーは米国のボルグワーナー社が株式を50%保有して設立した50:50の合弁会社でした。

先輩から聞いた話ですが、50:50の合弁会社のため決済は必ず、日本側とBW社側の両方に承認を得る必要がありました。

したがって書類も日本語と英語の並記でした。

BW社の方は、日本人は我々をだましている。隠し事をしている。となかなか承認をしてくれなかったとのことです。パイプ椅子を買うのも大変苦労したとのことです。

それなのに、「希望の丘」という大変立派なホールを建てています。

50:50の対等合弁状態を解消する為、アイシンワーナーは利益を出ないことをBW社に認識してもらい、BW社から株式を買い取るようにしました。

したがって、合弁中はアイシン・ワーナーは利益が出なかったです。しかし、生産台数はどんどん増えたので借金がとても多くなっていました。経理の方はいつも資金繰りに苦労してとのことです。

かなり前の話ですが、アイシン・ワーナーは親会社から部品を購入してました。その購入価格は親会社およびアイシン・ワーナーの利益がどれだけ出るかで調整で決められていたようです。しかしこれは当局の指摘により、是正され製造原価に基づき原価の積み上げで決めるようになったようです。つまり売手は全体に赤字にはならない。

アイシン・ワーナーはBW社からどんどん株式を購入しました。とても高い価格だったそうです。

そして、全てBW社から買い取り、社名をアイシン・エィ・ダブリュに変わりました。

すると途端にアイシン・エィ・ダブリュは利益が出るようになりました。それには営業、製造、購買なのの大変な努力の結果であります。またトップの方針も良かったです。

AW物語 電動化の危機

超優良企業アイシン・エィ・ダブリュ株式会社(以下AW)に迫る電動化の危機について書きます。

電気自動車化は何十年前からありました。しかしバッテリーモーターのコストが高くなかなか消費者からニーズが得られない状況でした。

しかし、昨今の技術開発により、 バッテリー の低コスト化、 モーター の高効率化によりエンジンなどに変わり電気自動車が現実化してきた。

電気自動車化になると、 オートマチック は不要になる。電気自動車になるとスピードの調整は電子機器のインバーターモーター の回転数を調整しスピードが変わるようになる。機構的にはとてもシンプルである。 オートマチック チックトランスミッションは単なるギヤボックスになり正転・逆転するだけの機能の ギヤボックスモーター と発電用のジェネレーターが入っているだけとなる。このような ギヤボックス は オートマチック チックトランスミッション のように複雑ではなく、また構成部品もずっと少なくなる。

つまり電気自動車化になると今までのオートマチックは不要となる。さらに中国の台頭である。電気自動車のギヤボックスの製造コストは中国の方が日本より圧倒的に安い。日本のAWの出る幕はない。

既に顧客から「good by “AW”」と見切られている。

また、 ナビゲーションシステム もすでに5年前から携帯のナビが浸透し、自動車搭載の ナビゲーションシステム は不要になっている。大がかりな再編が急務であるが、組織が大きくなりすぎ、これからどう舵をとるか見ものである。

電気自動車化で主導権をとるには、 バッテリー または モーター を低コストで軽量化してつくる技術がないと乗り切れない。しかしながらこれらの技術は大手家電メーカーが昔から何十年もかかけて開発してきて、かなり後発のAWが先頭を立つのは難しい。

これからのAWの動向はどちらに進むか楽しみである。

AW物語 成長の要因

アイシン・エィ・ダブリュ株式会社(以下AW)がここまで成長した主な要因を考えてみた。以下上げる。

1)オートマチック(以下A/T)を作るという先見の目が合った。
2)「品質至上」を経営理念として良いものを作ることにこだわった。
3)課題に対して否定せず、まずは取り組んでみる、やってみた。
4)A/Tの理想を目指しわき見をせずにモノづくりに取り組んだ。

それぞれについて詳細を書きます。

1)オートマチック(以下A/T)を作るという先見の目が合った 。 AW物語 genesis編 で書きましたが、 トヨタ自動車 (以下トヨタ) 5代目社長の豊田英二さんが北米に視察に行ったときは既にアメリカはモータリゼーションであり車が沢山走っていた。そして既にオートマチックが搭載されており、 これからの日本もアメリカのように モータリゼーションが来て、イージードライブの車が求められると確信し、実際に取り組んだことです。

2)「品質至上」を経営理念として良いものを作ることにこだわった。 AW物語 genesis編 で書きましたが、 とにかく良いものを作り世の中に出した。自分たちが良品であることを確信して自信をもって生産したものを出荷しておりました。また良いものとして燃費の向上、そしてイージードライブを追求したナビゲーション、更にこれからは自動運転へ。

3)課題に対して否定せず、まずは取り組んでみる、やってみた。 につては、お客さんや上司から言われた課題に対し、あれこれ難しいだとか、不可能だとか言い訳をして否定をせず、まずは取り組んだ。先輩から聞いた話では、AWの昔の人は頭の良い人が少なかったので、不可能だとか、無理だという理論的に説明をすることが苦手で、言われたらとにかくやる。姿勢だったことが他社ではできなかったことを実現できた要因と聞きました。

4)A/Tの理想を目指しわき見をせずにモノづくりに取り組んだ。 については、利益も出、会社も大きくなればA/T以外についても事業展開していくものだが、AWは一部の小事業を除けばA/T以外は取り組まなかった。したがって余計な投資などはほとんどなく、リソーセスをA/Tに集中でき、失敗は少なかった。

しかしこれからはわからない。

AW物語 8速FRA/T編

AWの8速FRオートマチック(以下8速FRA/T)は2006年7月に量産化され4代目レクサスのLS460に搭載されました。

この開発が、また大変でした。

AWレクサスLS430用に2003年7月に6速FRA/Tを市場に出した同年にベンツが2003年に7速FRA/Tを市場に出して、AWおよびトヨタは衝撃を受けた。世界より劣っている...と。

レクサスLS460用に2003年7月 の量産の1ケ月前に「次は8速のFRA/T」との話があり、6速から7速を飛び越え次のレクサスに向け8速の開発を急遽することになった。

しかし、次のレクサスの立ち上がりは3年後の2006年7月であり、今からA/Tの構想図を企画するところからではとても時間が足りない開発でした。

特に制御。またケースも従来はコンバータハウジング+ケース本体+エクステンションと3ピースだったのを、一体ケースにするチャレンジな取り組みでした。そのケースも外製でしたのでサプライヤーの協力を得るのがとても大変でした。

そしてできたものは、卓越したフィーリングのA/Tでインテリジェントの制御が組み込まれている。レクサスLS460は日本カー・オブ・ザ・イヤー並びに世界カー・オブ・ザ・イヤー を受賞した。

この経験を活かし、今では10速のFRA/Tが開発され市場に出されています。

AW物語 使命編

AWの諸先輩の方々は”使命感”を大変持っていたと思います。

使命

”あるべき姿”と言ったり”役割”とか言ったりしますが、使命感が強いと思います。

そのように感じるのは、オートマチックトランスミッションの専門会社であるアイシン・ワーナーの目指す姿は何ぞやと追及し、そしてその姿に達するように全力を尽くすところは使命感を感じます。

その目指す姿とは

1)自動車のユーザーに優しい燃費の良いオートマチック
2)変速ショックやノイズの少ない乗り心地の良い オートマチック
3)自分の意志で行けるナビと連携した オートマチック

その姿を目指し、オーバードライブL-UPクラッチスリップ制御、多段化など燃費向上の開発や、HSカーの開発やVNSの開発をしてきた。

まさに情熱を超えた使命感を自ら持ち突き進んできたと思います。

それらの開発するには

「一枚の魅力ある基本設計構想図」

をもって一枚の絵でその開発品の素晴らしさを伝えようとしてます。

使命と言うと軍事っぽいですが、他にも軍事的な用語が使われていました。それは「指令書」です。最近はこの言葉は使われていないようですが、古い方は”設計切替依頼書”のことを「指令書」と言ってました。つまり ”設計変更切替依頼書” が発行されたら、使命のように事を成し遂げなければならないと取り組んでいたようです。

AW物語 ACTIVE21編

 ACTIVE21とは部品表(以下BOM)を基幹としたWeb調達の機能も含んだAWのコンピューターシステムです。2001年に立ち上がり今でも世界No1のシステムだと思っております。

しかし完璧とまではいかなかったです。

AWBOM は技術が作る設計のPart Listとそれをもとに生産部門が製作する BOM の2本があります。他社ではさらに所要量計算するための BOM や原価計算するための BOM などいくつもある場合がありますが、AWは設計と生産部門の2つです。しかしこの2つの BOM は繋がってなく、設計が作成した Part List を紙で出して、再度コンピューターに入力するムダな作業となっています。

なぜそんなことになるのかと言うと、まずは設計のコンピューターと生産部門のホストコンピューターは繋がっていない。また、設計の Part List に対して、生産上の都合による品番設定が発生するためである。生産上の都合とは、

1)ある品番を生産するのに工程を分けるため、品番を追加する。
2)ある品番を2社複列で生産するため識別用の品番を追加する。
3)ASSYする順番を変えるため、ASSY品番を追加する。

などがあります。しかし調達システムは2001年に立ち上がったシステムですが未だに世界NO.1と思います。

コンピューターシステムは理想を追求すれば素晴らしいものはできますが、運用側が追従しなければ、ただの箱になってしまい、せっかくお金をかけたのにゴミ箱になってしまいますが、運用の実力に合わせ立ち上がってます。

ACTIVE21 の良い機能を以下に上げます。

1)特に良い機能は、サプライチェーンの機能で、ある部品を作っている サプライチェーン を原料の製造場所レベルまで登録できます。逆にその原料の製造場所から逆展開し、その製造場所で作られた全ての部品および製品をリストアップできます。さらに、ある地域を特定し、その地域のサプライヤーをリストアップすることもできます。

2)申請書類の回覧状況が外のサプライヤーから把握できることです。いままで社内へ回覧する書類は途中で行方不明になってしまってましたが、この機能により申請書は行方不明になることはなく、また今どこで検討中なのかリアルタイムで社外含め、社内の人も把握できるようになり直接停滞中の人にフォローすることができます。その人が長期で不在の場合は代理の処理もできます。

3)サプライヤーへの発注がcsv形式のデータでサプライヤーが入手できることです。これによりサプライヤーは自社で自由に生産計画の検討に活用することができます。またカンバンの発行状況もリアルタイムにサプライヤーでわかり、発行された時点で自社で把握できるので、トラックが戻ってくる前に出荷準備ができ、また納入した検収結果もリアルタイムでわかります。

4)試作などの品番と価格の登録以外の価格を承認する機能で、今までは単価登録書の 光学的文字認識 (以下OCR)を印刷し、価格を手書きし、1枚づつ承認印を押印し、 OCR 機に読み込ませていましたが、これをコンピューター画面上にしたので、印刷廃止し、一括承認することができるようにし、 OCR 機への読み込みは廃止しました。

OCR を印刷し、価格を手書きし、1枚づつ承認印を押印し、 OCR 機に読み込ませていましたが、これをコンピューター画面上にしたので、印刷廃止し、一括承認することができるようにし、 OCR 機への読み込みは廃止しました。

立ち上がるのには、関係部署と利害関係が大変あり調整が大変でした。

推進リーダーの服さんがとても優秀でしたので良い物が今でも使われてます。

AW物語 エクォス・リサーチ編

エクォス・リサーチとはAWの先行研究開発部門である。

エクォスはラテン語のEQUOSであり意味は馬です。つまり馬のような自分の思ったように乗ることを目指す研究をすることであります。

その概念図が下図の「柔軟な駆動機構」に表してます。

ただし、 エクォス・リサーチ は馬の走りだけを目指しているのではなく自由な研究開発をしています。

エクォス・リサーチ は最初は7人の研究員でスタートしてます。最初のメンバー7名は社内の尖った人が選ばれたそうです。普通の考えでは画期的な発想は出来ないとのことで。

また研究室もAWの本社ではなく、東京の秋葉原に拠点を置きました。その理由は、安城では日々の業務に引っ張られることがあるので、物理的ない離し、東京の電気の最先端の秋葉原で世界の動きに触れるとのことでした。

トヨタで東京勤務経験者の西さんが言ってました。

「東京はいつも大嵐で大波だ。しかし、名古屋に来ると普通の波になる。さらに安城に来るとさざ波になっている。」

と言ってました。東京はさぞいつも激動なのだと思いました。

さて、 エクォス・リサーチ は最初は7人の研究員 は”7人のサムライ”と言われていました。彼らの開発してきたものがすごい。以下に上げます。

1)ボイスカーナビゲーション(略してVNS)
2)ホイールインモータの電気自動車(略してHSカー)
3)ハイブリッドシステム
4)光触媒式空気清浄機
5)磁気浮上走行システム「EQUOS-LIM-CAR」
6)燃料電池システム

である。1)~4)は実際に商品化されている。5)と6)は商品化されていないが、5)の 「EQUOS-LIM-CAR」 はすごい発想だと思いました。まるで未来の走行の姿のようでした。下にデモの写真を張り付けました。

この 「EQUOS-LIM-CAR」 は4つのタイヤに磁石が組み込まれており、道路面に磁石をはめ、その道路上で4つのタイヤが回転するとリニアカーように浮上し走行し、その磁石の道路から外れると、普通の自動車のように走るコンセプトのシステムである。

AW物語 電子制御化

 初期の オートマチックトランスミッション (以下A/T)は油圧で全ての制御をしていた。しかし、A/Tが2速から3速へ、そして4速へ多段化、更に燃費向上のためのオーバードライブ(以下O/D)機構やロックアップクラッチ(以下L-up)機構を追加していくと、油圧制御だけでは成り立たなくなるのを見込んで、電子制御化を早くから取り組んだ。

 しかし当初トヨタ向けについては電子制御関係は日本電装(以下デンソー)が担当したので、トヨタ向け以外の顧客に対し取り組んだ。その姿勢はA/TはA/Tを制御する機構含めA/Tとして品質保証をする姿勢でした。

 A/Tはエンジンの回転数と連動しているので、エンジンの制御の一部としてA/Tの制御を入れる考えと、エンジンの制御と別にA/Tの制御を独立するタイプがありましたが、アイシン・ワーナー(以下 AW )としては、A/Tを製品保証する姿勢から、A/T制御をオートマチックトランスミッションの一部として顧客に提案し採用となりました。

 しかし、今まで全く電子制御のことをやったことがない AW の人がゼロから電子制御を開発から生産までするのは大変な苦労をしたとのことです。電子部品のメーカーからは「AWは一体何を考えてるのか?」と、まともに相手をしてくれなかったそうです。しかし、努力を積み重ねモノにして、その発展としてナビゲーションシステムを開発・生産することができるようになりました。

AW物語 低燃費化

 豊田英二さんが1950年アメリカを訪問した際に、アメリカは既にモータリゼーションとなっており、広大な土地に多くの車が走っている状況でした。

 日本と違って、アメリカのガソリン価格は安く、ガソリンをがぶ飲みしてドンドン車を走らせる状況でした。それを見て日本人である豊田英二さんは、

燃費の良い車を作らなくては。

と思ったそうです。それを受けてアイシン・ワーナーはマニュアルミッション(以下M/T)より当時燃費が悪いオートマチックトランスミッション(以下A/T)の燃費を良くする開発をしました。それが、

1)2速から3速のオートマチック
2)オーバードライブ
3)ロックアップクラッチ
その後、燃費向上のさらなる開発をいくつも量産化してきました。

 そのたゆまない努力で幾つもの燃費向上の取り組み積み重なり、今では欧米のA/Tと比べアイシン・エィ・ダブリュ(以下AW)のA/Tは圧倒的に優位になった。

 最初に、燃費向上に目を付けた豊田英二さん、そして其の意を汲んだ豊田稔さんは先見の目があったと思います。