AW物語 電子制御化

 初期の オートマチックトランスミッション (以下A/T)は油圧で全ての制御をしていた。しかし、A/Tが2速から3速へ、そして4速へ多段化、更に燃費向上のためのオーバードライブ(以下O/D)機構やロックアップクラッチ(以下L-up)機構を追加していくと、油圧制御だけでは成り立たなくなるのを見込んで、電子制御化を早くから取り組んだ。

 しかし当初トヨタ向けについては電子制御関係は日本電装(以下デンソー)が担当したので、トヨタ向け以外の顧客に対し取り組んだ。その姿勢はA/TはA/Tを制御する機構含めA/Tとして品質保証をする姿勢でした。

 A/Tはエンジンの回転数と連動しているので、エンジンの制御の一部としてA/Tの制御を入れる考えと、エンジンの制御と別にA/Tの制御を独立するタイプがありましたが、アイシン・ワーナー(以下 AW )としては、A/Tを製品保証する姿勢から、A/T制御をオートマチックトランスミッションの一部として顧客に提案し採用となりました。

 しかし、今まで全く電子制御のことをやったことがない AW の人がゼロから電子制御を開発から生産までするのは大変な苦労をしたとのことです。電子部品のメーカーからは「AWは一体何を考えてるのか?」と、まともに相手をしてくれなかったそうです。しかし、努力を積み重ねモノにして、その発展としてナビゲーションシステムを開発・生産することができるようになりました。

AW物語 低燃費化

 豊田英二さんが1950年アメリカを訪問した際に、アメリカは既にモータリゼーションとなっており、広大な土地に多くの車が走っている状況でした。

 日本と違って、アメリカのガソリン価格は安く、ガソリンをがぶ飲みしてドンドン車を走らせる状況でした。それを見て日本人である豊田英二さんは、

燃費の良い車を作らなくては。

と思ったそうです。それを受けてアイシン・ワーナーはマニュアルミッション(以下M/T)より当時燃費が悪いオートマチックトランスミッション(以下A/T)の燃費を良くする開発をしました。それが、

1)2速から3速のオートマチック
2)オーバードライブ
3)ロックアップクラッチ
その後、燃費向上のさらなる開発をいくつも量産化してきました。

 そのたゆまない努力で幾つもの燃費向上の取り組み積み重なり、今では欧米のA/Tと比べアイシン・エィ・ダブリュ(以下AW)のA/Tは圧倒的に優位になった。

 最初に、燃費向上に目を付けた豊田英二さん、そして其の意を汲んだ豊田稔さんは先見の目があったと思います。

AW物語 Zプロジェクト

 1970年代から普通乗用車が大型から小型自動車に移り変わってきた。それに伴い駆動方式もFRからFFに移り変わり、トヨタ自動車もその波に乗ってきた。

 しかし当時アイシン・ワーナー株式会社はFRのオートマチックトランスミッションし(以下A/T)か生産していなかった。工場はFR A/Tの生産でとてもFFのA/Tを生産するスペースはなかった。

 トヨタ自動車は駆動機構は自動車の重要機能ユニットと捉えトヨタの内製でFF A/T生産すると決定された。 トヨタ自動車は衣浦工場で生産するとなった。

 第一ラインはトヨタ自動車の衣浦工場で立ち上がり、そして第二ラインをアイシン・ワーナーで生産することなった。アイシン・ワーナーはその為にFF A/T生産工場として第二工場を新築しました。

 当時アイシン・ワーナーにとって強烈な衝撃だった。まず、これからの乗用車がFRからFFに変わっていくとなると、FRしか生産していないアイシン・ワーナーの将来はない。そこでFF A/Tの生産をトヨタ自動車になってしまったら、アイシン・ワーナーの生きていく未来はなくなるので、絶対にアイシン・ワーナーもFF A/Tの生産を成し遂げなければならない。そこで絶対に失敗は許されない、後がないプロジェクトとなった。

この後がない意味でアルファベットの最後の文字Zをとって

Zプロジェクト

と命名された。当時のアイシンワーナーの人たちは、「絶対にトヨタ自動車より良いものを作るぞ。」と皆のベクトルが一緒になって取り組んだそうです。