AW物語 電動化の危機

超優良企業アイシン・エィ・ダブリュ株式会社(以下AW)に迫る電動化の危機について書きます。

電気自動車化は何十年前からありました。しかしバッテリーモーターのコストが高くなかなか消費者からニーズが得られない状況でした。

しかし、昨今の技術開発により、 バッテリー の低コスト化、 モーター の高効率化によりエンジンなどに変わり電気自動車が現実化してきた。

電気自動車化になると、 オートマチック は不要になる。電気自動車になるとスピードの調整は電子機器のインバーターモーター の回転数を調整しスピードが変わるようになる。機構的にはとてもシンプルである。 オートマチック チックトランスミッションは単なるギヤボックスになり正転・逆転するだけの機能の ギヤボックスモーター と発電用のジェネレーターが入っているだけとなる。このような ギヤボックス は オートマチック チックトランスミッション のように複雑ではなく、また構成部品もずっと少なくなる。

つまり電気自動車化になると今までのオートマチックは不要となる。さらに中国の台頭である。電気自動車のギヤボックスの製造コストは中国の方が日本より圧倒的に安い。日本のAWの出る幕はない。

既に顧客から「good by “AW”」と見切られている。

また、 ナビゲーションシステム もすでに5年前から携帯のナビが浸透し、自動車搭載の ナビゲーションシステム は不要になっている。大がかりな再編が急務であるが、組織が大きくなりすぎ、これからどう舵をとるか見ものである。

電気自動車化で主導権をとるには、 バッテリー または モーター を低コストで軽量化してつくる技術がないと乗り切れない。しかしながらこれらの技術は大手家電メーカーが昔から何十年もかかけて開発してきて、かなり後発のAWが先頭を立つのは難しい。

これからのAWの動向はどちらに進むか楽しみである。

AW物語 成長の要因

アイシン・エィ・ダブリュ株式会社(以下AW)がここまで成長した主な要因を考えてみた。以下上げる。

1)オートマチック(以下A/T)を作るという先見の目が合った。
2)「品質至上」を経営理念として良いものを作ることにこだわった。
3)課題に対して否定せず、まずは取り組んでみる、やってみた。
4)A/Tの理想を目指しわき見をせずにモノづくりに取り組んだ。

それぞれについて詳細を書きます。

1)オートマチック(以下A/T)を作るという先見の目が合った 。 AW物語 genesis編 で書きましたが、 トヨタ自動車 (以下トヨタ) 5代目社長の豊田英二さんが北米に視察に行ったときは既にアメリカはモータリゼーションであり車が沢山走っていた。そして既にオートマチックが搭載されており、 これからの日本もアメリカのように モータリゼーションが来て、イージードライブの車が求められると確信し、実際に取り組んだことです。

2)「品質至上」を経営理念として良いものを作ることにこだわった。 AW物語 genesis編 で書きましたが、 とにかく良いものを作り世の中に出した。自分たちが良品であることを確信して自信をもって生産したものを出荷しておりました。また良いものとして燃費の向上、そしてイージードライブを追求したナビゲーション、更にこれからは自動運転へ。

3)課題に対して否定せず、まずは取り組んでみる、やってみた。 につては、お客さんや上司から言われた課題に対し、あれこれ難しいだとか、不可能だとか言い訳をして否定をせず、まずは取り組んだ。先輩から聞いた話では、AWの昔の人は頭の良い人が少なかったので、不可能だとか、無理だという理論的に説明をすることが苦手で、言われたらとにかくやる。姿勢だったことが他社ではできなかったことを実現できた要因と聞きました。

4)A/Tの理想を目指しわき見をせずにモノづくりに取り組んだ。 については、利益も出、会社も大きくなればA/T以外についても事業展開していくものだが、AWは一部の小事業を除けばA/T以外は取り組まなかった。したがって余計な投資などはほとんどなく、リソーセスをA/Tに集中でき、失敗は少なかった。

しかしこれからはわからない。

AW物語 8速FRA/T編

AWの8速FRオートマチック(以下8速FRA/T)は2006年7月に量産化され4代目レクサスのLS460に搭載されました。

この開発が、また大変でした。

AWレクサスLS430用に2003年7月に6速FRA/Tを市場に出した同年にベンツが2003年に7速FRA/Tを市場に出して、AWおよびトヨタは衝撃を受けた。世界より劣っている...と。

レクサスLS460用に2003年7月 の量産の1ケ月前に「次は8速のFRA/T」との話があり、6速から7速を飛び越え次のレクサスに向け8速の開発を急遽することになった。

しかし、次のレクサスの立ち上がりは3年後の2006年7月であり、今からA/Tの構想図を企画するところからではとても時間が足りない開発でした。

特に制御。またケースも従来はコンバータハウジング+ケース本体+エクステンションと3ピースだったのを、一体ケースにするチャレンジな取り組みでした。そのケースも外製でしたのでサプライヤーの協力を得るのがとても大変でした。

そしてできたものは、卓越したフィーリングのA/Tでインテリジェントの制御が組み込まれている。レクサスLS460は日本カー・オブ・ザ・イヤー並びに世界カー・オブ・ザ・イヤー を受賞した。

この経験を活かし、今では10速のFRA/Tが開発され市場に出されています。

AW物語 使命編

AWの諸先輩の方々は”使命感”を大変持っていたと思います。

使命

”あるべき姿”と言ったり”役割”とか言ったりしますが、使命感が強いと思います。

そのように感じるのは、オートマチックトランスミッションの専門会社であるアイシン・ワーナーの目指す姿は何ぞやと追及し、そしてその姿に達するように全力を尽くすところは使命感を感じます。

その目指す姿とは

1)自動車のユーザーに優しい燃費の良いオートマチック
2)変速ショックやノイズの少ない乗り心地の良い オートマチック
3)自分の意志で行けるナビと連携した オートマチック

その姿を目指し、オーバードライブL-UPクラッチスリップ制御、多段化など燃費向上の開発や、HSカーの開発やVNSの開発をしてきた。

まさに情熱を超えた使命感を自ら持ち突き進んできたと思います。

それらの開発するには

「一枚の魅力ある基本設計構想図」

をもって一枚の絵でその開発品の素晴らしさを伝えようとしてます。

使命と言うと軍事っぽいですが、他にも軍事的な用語が使われていました。それは「指令書」です。最近はこの言葉は使われていないようですが、古い方は”設計切替依頼書”のことを「指令書」と言ってました。つまり ”設計変更切替依頼書” が発行されたら、使命のように事を成し遂げなければならないと取り組んでいたようです。

AW物語 ホイールインモーター編

ナビ開発物語りでもお話ししましたが、技術がオートマチックの「あるべき姿」を模索しておりました。その結果たどり着いたのが、オートマチックは自動車の運転をとても楽にする役割である=つまり究極のオートマチックの「あるべき姿」は自分の思ったように走る姿が「あるべき姿」のオートマチックであると結論をだしたそうです。その姿は“馬”をイメージしました。馬は前にも後ろにも進みまた真横にも進めます。

 その動きを実現するには自動車のタイヤ4本にそれぞれモータを付け、そのモータが方向を変えることで真横移動もできることができるホイールインモーターを実際に試作も作り、トヨタさんに提案をしました。

 その結果、愛知地球博などで登場したi-Realなどのモータ部にAW製のモータが使われるようになりました。ほかにもe-comやゴルフ場のカート(旧アラコ経由)などにも使われています。

AW物語 ナビ編

AWは元々はオートマチック専門会社です。そんな会社が何でナビを始めたか疑問に思っている方が多いので今日は、その背景を説明します。

 他の話でも出てきました諸戸さんが技術のトップをやっていました。そこで究極のオートマチックの「あるべき姿」を模索しておりました。その結果たどり着いたのが、オートマチックは自動車の運転をとても楽にする役割である=つまり究極のオートマチックの「あるべき姿」は自分の思ったように走る姿が「あるべき姿」のオートマチックであると結論をだしたそうです。すると自分の思ったように走るためにはどうするかというと、自分の思いで自動的に案内してくれる機能が必要だとことでナビをオートマチック機能の延長線ということで開発を始めたのが30年ぐらい前です。

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 ところが、トヨタからしたらオートマチック専門会社のAWが何をいまさらナビを!気でも狂ったのか!とまで言われていました。

初期のナビはデンソー製でして、クラウンに搭載されていました。ところがこのナビの品質がとても悪く、師崎方面を車で走っていると、いつのまにか海の上を走っている状態になって、高級車のクラウンなのに使い物にならないとのことでした。

そこで、AWとしても何とかトヨタさんに喜ばれるナビを提案しようと頑張っていましたが、当時のデンソーからはAWができるわけないとタカをくくっていたようです。

当時のナビのAWの開発者も大変頑張ったそうです。トヨタの技術トップへ連日夜遅くまで打ち合わせをして、

打ち合わせ終了後AWへ戻り、それから打ち合わせをして次の日に宿題事項について回答をするなど、続いていたそうです。そんなに頑張っている姿を伝えれたからお客さんも付き合ってくれました。

 あるとき、トヨタ側から「いちいち画面など見ておれない、危ない」とヒントを得て、AWより「声が出るナビ」を提案したところ、これがとても評判がよく、そのあとはスイスイといったようです。それまでは色々な提案をしており、たとえば、「ナビの画面と、実際に見る道路の映像が違う。」との指摘に対して、日本中の交差点の写真を撮りに行き、ナビに入れて試作をしていたそうです。

 そうやって92年にトヨタ最高級車種のレクサスに初めてAWのナビが搭載されました。当時のAWのトップが振り返ってみて、なぜAWがデンソーを差し置いてナビを成功させることができたかを考えその答えを教えていただきました。

 それは、AWは頭の悪い奴ばかりで、できない、無理ということがわからないからとにかくやってみた。がむしゃらにやってみたとのことです。ところがデンソーなど頭の良い人たちは、初めからできない理由を理路整然と並べてできないことをかも立派に説明する。ところがAWはバカバカなのでとにかくやってみた。

 当時AWのトヨタのバイヤーはトヨタの元社長の渡辺さんでした。当時AWがナビをやっていたことにとても不快感をもち、AWの提案書類を投げつけたそうです。そのことに対し渡辺さんはトヨタの社長になってAWへ来たときにみんなの前であやまったそうです。AWの技術開発力は素晴らしい。とのことです。 ちなみにAWの20年前は知名度もなくリクルートしてもろくな人が集まらなかったそうです。最近になり知名度も上がり少ないですが東大などがはいってくるようです。

AW物語 海外引合い編

アイシン・ワーナー株式会社(以下AW)はボルグワーナー社とアイシン精機株式会社と50:50の合弁でスタートしました。

ボルグワーナー社とAWと交わした商圏は、AWは日本含めたアジアとし、ボルグワーナーア社は欧米となってたそうです。

当時は日本含めアジアには車は高価であり普及しておらず、イージードライブのオートマチック車はとても普及されると想像できず、ボルグワーナーはアジアは見切り欧米のみ確保したようです。

AWはトヨタ向けのオートマチックトランスミッション(以下A/T)を問題なく供給するのに精一杯でした。特に品質には万全を期して取り組んでました。とても拡販する余裕などない状況でした。

当時の欧米のA/Tはとても品質が悪く

「トルコン車は故障するもの」

と当たり前のように言われてました。

しかしボルボもA/Tを取り入れようとして各カーメーカーのA/Tを調査した結果、トヨタのA/Tが故障しない。品質が良いと評価し、ボルボ社から直接、AWに引き合いがありました。

ボルグワーナー社に状況を説明し納得してもらい、初の海外カーメーカーと1975年に取引が始まりました。

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AW物語 創業編

AWのgenesisについては前回の「genesis」で書いたが、今回は

AWの創業

について書きます。アイシン・エィ・ダブリュ株式会社(以下AW)は設立時は、アイシン・ワーナー株式会社(以下AW)でした。

アイシン精機と欧米のボルグワーナー社の50:50出資の合弁会社であり両社の名前を取りアイシン・ワーナー株式会社となりました。

AWはオートマチックトランスミッションのみ製造する専門の製造会社として設立されました。設立時はトヨタのトヨグライドを生産しました。このトヨグライドはアイシン精機で生産していたのをAWに移管してきました。トヨグライドの生まれはトヨタ自動車内でしたが、トヨタ自動車の生産拡大の中でトヨグライドが外製化されアイシン精機に移管されました。つまりトヨグライドは

トヨタ自動車→アイシン精機→AW と生産が移ったわけです。

このトヨグライドがボルグワーナー社の技術特許に多数の項目が抵触しており、特許を使うためにボルグワーナー社と合弁として1969年5月に設立スタートしました。

AWの設立時の従業員数は686名でスタートした。中堅の中小企業の規模である。

「設立当時は仕事もなく草むしりばかりしていた。」と先輩が言ってました。

AW物語 genesis編

AWの現在については前回の「序章」で書いたが、今回は

AWが産まれたgenesis(起源)

について書きます。

AWはトヨタ用のオートマチックトランスミッションであるトヨグライドの生産会社として設立されました。

トヨタ自動車 (以下トヨタ) 5代目社長の豊田英二さんが北米に視察に行ったときは既にアメリカはモータリゼーションであり車が沢山走っていた。そして既にオートマチックが搭載されており、

なんてイージードライブな装置だ!。

と感動したそうです。早速日本へ帰ってトヨタの中でオートマチックの開発を始めてトヨグライドを開発した。

トヨグライドはトヨタで生まれトヨタで生産スタートしましたが、トヨタの生産拡大に伴い外製化されトヨタグループのアイシン精機に移管されトヨタ車に搭載されました。

アイ シン精機は豊田英二の従妹であるトヨタ佐助の息子の豊田稔(豊田英二の従妹)が社長をしているトヨタグループである。

ところが、このトヨグライドが欧米のボルグワーナー社の特許に基本的な機構に抵触していることが発覚したので、対応策としてアイシン精機とボルグワーナー社と出資50:50の対等の合弁会社 であるアイシン・ワーナー株式会社(以下AW)を設立し、そのAWへ生産移管された。

トヨタ自動車→アイシン精機→AW

と生産が移ったわけです。

ちなみに、日本ではオートマチック専門会社はAWとJATCO( 日本自動変速機株式会社 )の2社のみで、JATCOもフォードの合弁会社でスタートしております。

AW物語 序章

私のよく知っている超優良企業「アイシン・エィ・ダブリュ株式会社」について超優良となった歴史から背景・理由について物語を書いていきます。

今回は序章として現在のアイシン・エィ・ダブリュ株式会社(以降AW)の概要を記述します。

本社は日本のデンマーク(農業国)と言われる田園の多い安城市にあります。

従業員数は、単独で 18,817名(2018年3月31日現在)

売上高は、単独で 1兆3,843億円(2018年3月期)

と超ビッグな企業でありながら非上場の製造会社です。

取扱品目は、

の製造と販売です。

トヨタグループアイシン精機株式会社の子会社です。

トヨタ自動車からすると、孫会社になります。