補給のものづくり改革まとめ

以上書いてきた補給部品のものづくり改革の現在の状況をまとめます。

トヨタが主導で複数社デンソー、アイシン、JTEKT、豊田合成などを活動メンバーとし、2次仕入先の補給に関してのものづくり改革を進めてきた。

それは、世耕プランに沿った内容である。

ものづくりの中でも何故補給をテーマにした理由は、

自動車の国内生産は頭打ちになり今後補給がますます増え経営負担が増大していく。

現状でも、量産売り上げに対して補給の売り上げは10分の1にも満たない売り上げなのに、スペースは5分の1以上占めている。また売価は量産品の1.2倍であるが、すべては1.2倍で設定されていない。申請漏れがあり1.2倍になっていない物が多いが旧型補給になって今となってはどれが1.2倍になっていないかわからない。

原価も補給の少量生産なのに段取りが多く全く赤字である。更に久しぶりに製作する品番も多いので材料の調整ミスが多く出、更に赤字である。

今後、量産は増えず補給が増えるので、この補給で利益を出すようにしなければならない状況であり、ものづくり改革のテーマとした。

取り組みの狙いは、スペースの削減である。その取り組み内容は

1)設備の集約化

2)工法置換による設備の小型化

3)組立治具の削減
1.二個一化
2.一括生産化により治具の廃棄
  ※一括生産を増やすため寿命延長
3.3点分割による治具の削減
4.余剰在庫の削減
  下振れによる在庫余りの対策

を取り組んできました。まだ結論が出てない項目もありますが、いままでトヨタが取り組んでこなかった内容であり、また他の1次・2次サプライヤーも同じ考えを持っていることもわかりました。

今後進展したら都度報告いたします。

AW物語 電子制御化

 初期の オートマチックトランスミッション (以下A/T)は油圧で全ての制御をしていた。しかし、A/Tが2速から3速へ、そして4速へ多段化、更に燃費向上のためのオーバードライブ(以下O/D)機構やロックアップクラッチ(以下L-up)機構を追加していくと、油圧制御だけでは成り立たなくなるのを見込んで、電子制御化を早くから取り組んだ。

 しかし当初トヨタ向けについては電子制御関係は日本電装(以下デンソー)が担当したので、トヨタ向け以外の顧客に対し取り組んだ。その姿勢はA/TはA/Tを制御する機構含めA/Tとして品質保証をする姿勢でした。

 A/Tはエンジンの回転数と連動しているので、エンジンの制御の一部としてA/Tの制御を入れる考えと、エンジンの制御と別にA/Tの制御を独立するタイプがありましたが、アイシン・ワーナー(以下 AW )としては、A/Tを製品保証する姿勢から、A/T制御をオートマチックトランスミッションの一部として顧客に提案し採用となりました。

 しかし、今まで全く電子制御のことをやったことがない AW の人がゼロから電子制御を開発から生産までするのは大変な苦労をしたとのことです。電子部品のメーカーからは「AWは一体何を考えてるのか?」と、まともに相手をしてくれなかったそうです。しかし、努力を積み重ねモノにして、その発展としてナビゲーションシステムを開発・生産することができるようになりました。

AW物語 ハイブリッド編

実はハイブリッドの開発はトヨタよりAWの方が先にしておりました。約今から20年前ぐらいに試作の値決めを私もしておりました。今のトヨタのハイブリッドにはAWの特許がたくさん使われているそうです。

 ハイブリッドの開発の前にAWは電気自動車の開発もしておりました。AW開発のトップはハイブリッドのニーズは少ないと見て電気自動車に力を入れていました。開発トップはハイブリッドの開発担当者に「いい加減ハイブリッド(当時は回生機構)よりも電気自動車に力を入れろ」と指示をしても、その担当者はハイブリッドの開発提案を訴えて続けて聞かなかったそうです。とうとうトップも怒り出すしだいで、中間の上司がその担当者に「トップを怒らせたらだめだ、もっとうまくやれ!」となだめていたそうです。

 そんな状態で、こつこつと開発を進め特許もたくさん取得していったところ、トヨタがプリウスを発売しその時初めて、トップがハイブリッドの必要性を認めたそうです。

 その開発をずっと続けてきたおかげでAWにもハイブリッドの仕事が来るようになりました。

 しかし、あんのんとしてはおれず、ハイブリッドは電気部分が多くデンソーも織機も、またトヨタ北海道、九州などトヨタグループが狙っています。とくにデンソーはAWをナビの件で目の敵にしているようです。

AWも牙城を固めるため50人ぐらいトヨタに開発者を出向させています。それぐらいトヨタをサポートしないと仕事がこないようです。

 ハイブリッドの機構は駆動部と制御部に大きく分かれます。駆動部は10~15万円ぐらいで、そのなかでもモータで半分ぐらいです。ところが制御部がとても高く、たったファイルボックスの大きさで30万円ぐらいです。これを1/4にしようと取り組んでいますが、デンソー、織機包囲網でトヨタに入れないです。技術へ出向も入らせてくれないようです。

AW物語 ナビ編

AWは元々はオートマチック専門会社です。そんな会社が何でナビを始めたか疑問に思っている方が多いので今日は、その背景を説明します。

 他の話でも出てきました諸戸さんが技術のトップをやっていました。そこで究極のオートマチックの「あるべき姿」を模索しておりました。その結果たどり着いたのが、オートマチックは自動車の運転をとても楽にする役割である=つまり究極のオートマチックの「あるべき姿」は自分の思ったように走る姿が「あるべき姿」のオートマチックであると結論をだしたそうです。すると自分の思ったように走るためにはどうするかというと、自分の思いで自動的に案内してくれる機能が必要だとことでナビをオートマチック機能の延長線ということで開発を始めたのが30年ぐらい前です。

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 ところが、トヨタからしたらオートマチック専門会社のAWが何をいまさらナビを!気でも狂ったのか!とまで言われていました。

初期のナビはデンソー製でして、クラウンに搭載されていました。ところがこのナビの品質がとても悪く、師崎方面を車で走っていると、いつのまにか海の上を走っている状態になって、高級車のクラウンなのに使い物にならないとのことでした。

そこで、AWとしても何とかトヨタさんに喜ばれるナビを提案しようと頑張っていましたが、当時のデンソーからはAWができるわけないとタカをくくっていたようです。

当時のナビのAWの開発者も大変頑張ったそうです。トヨタの技術トップへ連日夜遅くまで打ち合わせをして、

打ち合わせ終了後AWへ戻り、それから打ち合わせをして次の日に宿題事項について回答をするなど、続いていたそうです。そんなに頑張っている姿を伝えれたからお客さんも付き合ってくれました。

 あるとき、トヨタ側から「いちいち画面など見ておれない、危ない」とヒントを得て、AWより「声が出るナビ」を提案したところ、これがとても評判がよく、そのあとはスイスイといったようです。それまでは色々な提案をしており、たとえば、「ナビの画面と、実際に見る道路の映像が違う。」との指摘に対して、日本中の交差点の写真を撮りに行き、ナビに入れて試作をしていたそうです。

 そうやって92年にトヨタ最高級車種のレクサスに初めてAWのナビが搭載されました。当時のAWのトップが振り返ってみて、なぜAWがデンソーを差し置いてナビを成功させることができたかを考えその答えを教えていただきました。

 それは、AWは頭の悪い奴ばかりで、できない、無理ということがわからないからとにかくやってみた。がむしゃらにやってみたとのことです。ところがデンソーなど頭の良い人たちは、初めからできない理由を理路整然と並べてできないことをかも立派に説明する。ところがAWはバカバカなのでとにかくやってみた。

 当時AWのトヨタのバイヤーはトヨタの元社長の渡辺さんでした。当時AWがナビをやっていたことにとても不快感をもち、AWの提案書類を投げつけたそうです。そのことに対し渡辺さんはトヨタの社長になってAWへ来たときにみんなの前であやまったそうです。AWの技術開発力は素晴らしい。とのことです。 ちなみにAWの20年前は知名度もなくリクルートしてもろくな人が集まらなかったそうです。最近になり知名度も上がり少ないですが東大などがはいってくるようです。

AW物語 諸戸脩三編

 アイシン精機から分社した時に技術の係長で出向されてきた方です。AWの2代目の社長が”諸戸脩三”です。この方は大変すばらしい方でとても使命を持っていました。自分の役割、オートマチックの目指す姿。

東京に研究所を設けたのもこの人です。三河のゆったりした気候では革新的なアイデアはでない。日本、世界で最先端の技術が集まっている東京に出て最新技術の情報を得なければ革新的なアイデアは出ないとのことで東京に研究所を作ったそうです。

ナビ編でもご紹介しましたが、この方がナビの推進をした人です。ナビの開発し始めは、社内の多くはナビなんかAWがやっても物になるわけない。デンソーや家電メーカーに勝てるわけない。が多数の意見でした。ナビ開発のために子会社も何社かつくり、海外の企業とも技術提携しました。当初はナビにテレビ電話機能も付けることも検討していて、その為には特殊な電子素子が必要でその素子を海外の企業が技術をもっていることでしたが、結局その企業の素子では役割を果たすことができず、当時はテレビ電話は断念しました。そんな状態ですので一部の方からは気が狂ったと思われていたそうです。

 しかしながら大変しつこく進められたので今のAWのナビがあります。AWのナビのシェアは日本ではNO1です。

 それというもの「トップの理解があったから進められた」「トップが見てくれたから頑張れた」と言っていました。