AW物語 創業編

AWのgenesisについては前回の「genesis」で書いたが、今回は

AWの創業

について書きます。アイシン・エィ・ダブリュ株式会社(以下AW)は設立時は、アイシン・ワーナー株式会社(以下AW)でした。

アイシン精機と欧米のボルグワーナー社の50:50出資の合弁会社であり両社の名前を取りアイシン・ワーナー株式会社となりました。

AWはオートマチックトランスミッションのみ製造する専門の製造会社として設立されました。設立時はトヨタのトヨグライドを生産しました。このトヨグライドはアイシン精機で生産していたのをAWに移管してきました。トヨグライドの生まれはトヨタ自動車内でしたが、トヨタ自動車の生産拡大の中でトヨグライドが外製化されアイシン精機に移管されました。つまりトヨグライドは

トヨタ自動車→アイシン精機→AW と生産が移ったわけです。

このトヨグライドがボルグワーナー社の技術特許に多数の項目が抵触しており、特許を使うためにボルグワーナー社と合弁として1969年5月に設立スタートしました。

AWの設立時の従業員数は686名でスタートした。中堅の中小企業の規模である。

「設立当時は仕事もなく草むしりばかりしていた。」と先輩が言ってました。

AW物語 genesis編

AWの現在については前回の「序章」で書いたが、今回は

AWが産まれたgenesis(起源)

について書きます。

AWはトヨタ用のオートマチックトランスミッションであるトヨグライドの生産会社として設立されました。

トヨタ自動車 (以下トヨタ) 5代目社長の豊田英二さんが北米に視察に行ったときは既にアメリカはモータリゼーションであり車が沢山走っていた。そして既にオートマチックが搭載されており、

なんてイージードライブな装置だ!。

と感動したそうです。早速日本へ帰ってトヨタの中でオートマチックの開発を始めてトヨグライドを開発した。

トヨグライドはトヨタで生まれトヨタで生産スタートしましたが、トヨタの生産拡大に伴い外製化されトヨタグループのアイシン精機に移管されトヨタ車に搭載されました。

アイ シン精機は豊田英二の従妹であるトヨタ佐助の息子の豊田稔(豊田英二の従妹)が社長をしているトヨタグループである。

ところが、このトヨグライドが欧米のボルグワーナー社の特許に基本的な機構に抵触していることが発覚したので、対応策としてアイシン精機とボルグワーナー社と出資50:50の対等の合弁会社 であるアイシン・ワーナー株式会社(以下AW)を設立し、そのAWへ生産移管された。

トヨタ自動車→アイシン精機→AW

と生産が移ったわけです。

ちなみに、日本ではオートマチック専門会社はAWとJATCO( 日本自動変速機株式会社 )の2社のみで、JATCOもフォードの合弁会社でスタートしております。