AW物語 綱引き編

今の立派なアイシン・エィ・ダブリュ株式会社(以下AW)があるのはAW初期の方々が企業風土含め製品を開発してくれたおかげだと思います。特にAWの開発の人たちはすごいです。開発が頑張ったから今のAWがあると思います。

AWの始まりは アイシン精機から分社して ボルグワーナー社と合弁となったので、 得体のしれない会社でありリクルートしてもろくなのが集らなったようです。 当然創業期は優秀な賢い人は入ってこなかったです。

ただ、頑張り、パワーはすごいです。

私の同期の者も何人かいますが、毎日夜の12時を回って仕事をしていました。土曜日は当然毎週、日曜日も出ていました。月の時間外労働時間は200時間を超えていました。200時間というと、毎日11時までやっても月の時間外は100時間しかならなので、休出はあたりまえでした。当然半分ぐらいしか認められなかったです。(今は全部認められてます)ある時は朝の3時まで、その次の日はさらに朝の5時までやって家に風呂に入りに帰ってまた会社に来て、さすがに土曜は2、3時間の残業のようでしたがとても大変そうでした。私はまだ楽な方でして毎日11時、土曜日も毎週出勤していたぐらいです。

そんな開発部隊が頑張っている姿が伝わってくるから、生産部隊もその開発の頑張りに負けないようにと頑張る風土ができています。このように開発と生産がお互いに綱引きするようになっているとどんどん良くなっていきます。これが逆に、開発が楽をしているから生産も楽をしようと引っ張り合いするとだんだん悪くなっていきます。だから開発方にはぜひ頑張って引っ張っていってほしい。

 AWの最初の開発のリーダ、諸戸さんですが、とても素晴らしいひとでした。AWは41年前にアメリカのボルグワーナー社と合弁で始まりました。合弁で始まりましたワーナ社は実は日本に技術を伝える気がなかったようでした。AWの技術者がワーナ社に技術打ち合わせに行ったとき、図面の開示をしてくれませんでした。会議室に物だけ並べられて、ワーナの人は出てってしまし残されたのはAWの技術者だけでした。そんな時、その諸戸さんは突然、白紙にワークを載せ鉛筆でトレースし出しました。このようにワーナ社から技術を盗んで日本で良いA/Tを作れるようになりました。

 AWはアイシン精機の子会社として作られ、作られたときアイシン精機からAWに移った方はすごく屈辱を感じていたようです。だからより一層頑張っていたようです。

 AWがナビを最初に開発していたとき、お客さんトヨタで打ち合わせをして夜8時ぐらいに終わって色々宿題事項をもらいました。すると打ち合わせに一緒にでていた上司が、「よし会社に戻って、打ち合わせをやるぞ!」と言い出し、AWへ戻って9時ぐらいから打ち合わせをして、明日再度報告することになり、明け方まで担当者は内容をまとめることとなって大変だったそうです。しかし翌日に回答の打ち合わせしたので、トヨタ側も完璧な資料は求めていなく報告を聞いてくれコミュニケーションが深まり信頼関係を築けたそうです。

 元トヨタの社長の渡辺さんがAWへ来たときその話をしてくれました。「前日の夜まで打ち合わせをして翌日その質問事項について回答してきて、なんてレスポンスの良い会社だ。目を真っ赤にしてきて、昨日は夜遅くまでやったんだろうな。頑張ったんだな~。」と感心したそうです。

 このように、頑張ればお客さんはその場では言いませんが、心の中では見てくれています。だから、すぐに受注に結び付かなくても気を落とさなく地道に頑張っていきましょう。

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