モノづくり企業の改革の必然性とその戦略 その17

奥田 碩 さんの講演内容です。

3.3.4 他者への共感

多様性を認め、そのダイナミズムを生かしていくことで、新しい豊かさと幸せを実現していこうとする時代には、従来の日本に往々にして見られたような、男性は男性、高齢者は高齢者、あるいは日本人は日本人 といった似たもの同士や、同じ職場や地域といった限られた身内では強く結束する一方で、ヨソモノは排除するといった、偏狭な仲間意識に凝り固まっていては、いきいきと人生を送ることはできないでしょう。

性別や国籍、年代などの違いをこえて、他者が自分と異なるものを求 め、生きているということを、共感をもって理解し、尊重する、骨太な 人間観が求められます。このような他者への「共感」を根底にもつこと によって、はじめて多様性のダイナミズムが生まれてくるのです。

3.3.5 社会への信頼の回復

 もう一つ大切なのは、いかに多様化の時代であるといっても、自分らしく生きるということは、自分勝手に生きるということではない、ということです。たしかに、多様化が進むということは、個人化が進むということに繋がっており、すでに、近年の日本の社会においては、家族や 親族、地域、あるいは職場における連帯感は弱まり、希薄化する傾向に あります。それに加えて、社会保障をはじめとする社会的な相互扶助の しくみも、より抜本的な見直しが必要なことは確実と考えられています。

これまでは、年寄りになったとき、病気になったとき、あるいは失業 したときなどに、家族や地域、あるいは行政などの手助けを期待することができましたが、それがだんだん期待できなくなってきているのです。 このような、社会や世間に対する信頼感が失われてきたことによって、 国民のなかに、将来に対する漠然とした不安感や不信感が広がっている のが現状だと思います。日本経済は長いこと悪い悪いといわれてきましたが、その一方で約 1,400兆円ともいわれている個人金融資産がある ことも、よく知られています。おカネはないわけではないのに、それを 使わないのは、頼れるのはおカネだけだ、という気持ちがあるからと思

います。

いまや国も、企業も、社会も信頼できない、信じられるのはおカネだ けだ、というのが、多くの国民の実感ではないかと思います。これが、 わが国の家計にゆがみをもたらしております。さらに、いつまで生きるかわからないから、そのおカネがいつまでも使えません。結局、一生懸 命働いてせっかく稼いだおカネを使えないままに死んでいくのです。こ のような国に、新たな活力や魅力が生まれるわけがありません。

こうした傾向を加速しているのが、「強者の論理」、たとえば、「自立 を強制する論理」の蔓延です。

たとえば、「これからは自己責任と自助努力の時代であり、国や企業 に頼らず、個人が自立しなければいけない」などといった単純な意見で す。常識的に考えて、あらゆる個人に向かって、国にも企業にも家族に も一切頼らずに、自分ひとりの力で、自分だけで生きていきなさいというのは、あまりにも無理な話です。ところが、現状を見ると、「自立は 善であり、依存は悪である」といった、きわめて短絡的でステロタイプ な暴論がまだまだ幅を利かせているのが現実ではないでしょうか。

しかし、世の中のしくみをすべて、そういった考え方で作っていこう というのは、あまりに自己中心的で、他人への関心や共感を欠いた考え 方です。

もちろん、日本経団連も、自己責任原則の貫徹を理念としていますが、 これは日本経団連の会員、すなわち企業や経済団体についてのことであ って、個人にまで求めているわけでは決してありません。これからの企 業は、国の規制や保護に頼らずに、自己責任でビジネスを展開していか なければならないことは、当然です。しかし、すべての国民、個人に対 してまで、企業と同じことを求めているわけではなく、また、求めることもできないと思います。 もちろん、かつてのような、封建的な家族制度に戻ることはできない し、戻すべきでないと思います。 大切なことは、これまでの家族や地域 といった、いわば限られた身内だけの強い連帯に代わる、社会全体での、 ゆるやかな新しい連帯を構築していくことであります。 「前に述べたように、自分らしく生きるということは、自分勝手に生きるということではありません。 一人ひとりの個人は、新しい連帯の中で、 自らに求められる役割をきちんと果たしていかなければならないのです。 多様性の社会であればこそ、なおさら、「公」、おおやけのなかでともに 生きる、あるいは公への貢献という価値観が強く求められるのです。そのような価値観のもとに、すべての人が自分の役割と責任をきちんと果 たしていくことで、互いに支え、支えられる、健全な依存関係を築いて いかなければならないのです。

モノづくり企業の改革の必然性とその戦略 その16

奥田 碩 さんの講演内容です。

3.3.2 時代が変わっても、人が変わっても、ゆるぎなく繁栄し続ける日本づくり

絶えざる技術開発と、環境変化に応じてつねに構造改革が行われるモ メンタムとを組み合わせることで、「時代が変わっても、人が変わって も、ゆるぎなく繁栄し続ける日本」をつくることが可能でしょうこれ は、「ある最高の状態を作り上げれば、あとはずっとそのままでいい」 ということでは決してありません。大切なのは、つねに変わりつづけ、 進歩しつづける上向きのベクトルをもちつづけることなのです。

日本経団連は 2003年1月に、「活力と魅力溢れる日本をめざして」と いう提言、いわゆる「新ビジョン」を発表しました。これはわが国が取 り組むべき政策プログラムのパッケージを提示したものであり、財政や 社会保障を持続可能なものに改革し、民間企業と地方の活力を健全な競 争を通じて発揮できる環境を整えることで、わが国は必ず新たな成長と 発展を手にすることができると主張しています。以下、その具体的なポ イントをいくつか紹介していきます。

3.3.3 多様性のダイナミズム

 新ビジョンがこれからのわが国における活力の源泉として期待しているのが「多様性」です。より具体的には、「多様な価値観がもたらすダ イナミズムと創造」です。これが、これからのわが国が発展していくための活力、エネルギーの源泉として、非常に大切な考え方になると思い ます。

これまでの日本は、経済的な豊かさ、物質的な豊かさを追求すること を、活力やエネルギーの源泉としてきたのではないでしょうか、戦後の 50年をみても、欧米の近代的で豊かな生活にキャッチアップすること を、唯一の全国民共通の目標としてきて、いまやその目標は、かなり立 派に達成できました。

ところが、それにより、これまでわが国の原動力になってきていた、 経済的な豊かさ、 物質的な豊かさに対する欲求から生まれるエネルギー が弱まってしまったことが、景気上昇局面が訪れてもなお、わが国が長 期的な閉塞感を打破できない大きな原因ではないかと思います。要する に、テレビや電気冷蔵庫、電気洗濯機などの電化製品、あるいは自動車 など、生活の快適さや利便性が飛躍的に向上して、誰にとってもそれが 幸せに直結するような、モノの形をした具体的な目標がなくなってしま ったのです。

わが国はもはや、モノとカネがたくさんありさえすれば幸せだ、とい う価値観の国ではなくなったと言うことです。たとえば、エルメスの 100万円のスーツが欲しくないか、と聞かれれば、誰でも欲しいと答えるかもしれません。しかし、それを誰もがローンを組んでまで買いたい か、といわれれば、そうではありません。あるいは、毎日一流ホテルの レストランで高級ワインを飲み、 フランス料理を食べるために、毎日わき目もふらず、残業や休日出勤をいとわずに働くかといわれれば、そういう人は多くはないと思います。

もし、これまでのように、モノとカネの豊かさをひたすら追求していけばよいということであれば、国民のだれもがブランド品をもち、毎日 フランス料理を食べられることを国家の目標にすべきだということになります。しかし、本当にそうすべきか、といわれれば、そうではないと 考える人の方が多いと思います。

考えてみればあたりまえのことでありますが、ブランド品をもってフ ランス料理を食べることだけが幸せではないでしょう。あえてブランド 品をもたないことを幸せだと思う人もいますし、自分で野山で集めた山 菜を料理して食べることに幸福感を感じる人もいます。たくさんのモノ、 あるいは高いモノを買って、所有することだけが幸せであるという画一 的な価値観の時代から、人それぞれが自分なりの価値観をもって、自分 なりの幸せを考える時代に変わりつつあり、モノとカネの豊かさに加え て、心の豊かさ、精神的な豊かさというものを考えていく段階に入って きたのではないでしょうか。事実、すでに、これまでの画一的なライフ スタイルや価値観の枠組みに収まらない、新しい生き方、新しい幸せを 追求しようという動きが目立つようになってきているように感じられます。

たとえば、「男は仕事、女は家庭」という画一的なライフスタイルに 納得せずに、職業をもって社会に進出する女性や、定年退職後も、生き がいと働きがいを求めて働き続ける高齢者などです。高齢者の中には、 自らの技能を生かせる職場を求めて、海外に仕事を求める人もいます。 ひとくくりに「高齢者」といってすますことのできない現実がそこにあ ります。

今となっては、従来の画一的な価値観を前提にしたしくみは、国民が 自分らしく生き、自分なりの豊かさを追求しようとするエネルギーの発 揮を、かえって妨げる方向に働いてしまいかねません。心の豊かさや多 様性といったものを中心において、あらゆる政策を転換していく必要があり、それによって、国民が新しい幸せの追求に向けて、エネルギーを 発揮していけると考えています。

もちろん、これまでも多くみられたように、自分の仕事を天職と考え て、長い年月をかけてそれに打ち込み、高い技能を身に付けていくのも、

立派な生き方であることには変わりありません。従来型の価値観を一切 認めないということは、逆にいえば新たな画一性、没個性に陥ることに つながります。大切なことは、伝統的なものも革新的なものも含め、多 様な生き方や価値観を認めて、お互いに刺激しあうことではないでしょうかそれを通じて、従来型の価値観や生き方を選択した人も、周囲の 多様な価値観に刺激されることで、新しい活力を生み出していくことが できるのです。

モノづくり企業の改革の必然性とその戦略 その15

奥田 碩 さんの講演内容です。

3.3 日本の未来に夢と生きがいがもてる進路づくり

第3番目の大きな課題は、「日本の未来に夢と生きがいがもてる進路 づくり」です。今日の日本には、少子化、高齢化をはじめとしてさまざまな不安材料があります。こうしたなかで、日本という国を今後どのようにしていくのか、人々の心に希望を与えるような、夢と生きがいを感 じさせられるような進路、ビジョンが求められています。

3.3.1 日本に「成長エンジンと制度インフラ」の強力な両輪づくり

国家経済を自動車にたとえれば、科学技術開発の創造が成長のエンジ ンであるとすれば、財政や税制、社会保障などといった制度インフラは、 ボディやサスペンションに当たるものだろうと思います。いくらエンジ ンが強力でも、ボディやサスペンションが弱かったり、重すぎたりした ら、長期間にわたって安心して走りつづけることはできません(図 3.6 参照)。

キャッチアップという「坂の上の雲」をめざして、 エンジンをフル回転させながら、ひたすら登り続けてきました。このような時期には、ボディやサスペンションは、大きくて無骨で、 とにかく 頑丈なものであることが求められていたと思います。

それに対し、これからは、グローバル化や少子化・高齢化といった厳しい環境変化のなかで、竹中平蔵さんの言葉を借りれば、「日本は狭く 細いナローパス、隘路を行かなければならない」のです。

しかもそれは、いわば見通しの悪い濃霧の道であり、そのうえ、環境 変化に取り残されないよう、これまで以上のスピードで走り抜けなければなりません。このような状況で、引き続き技術革新のエンジンをフル 回転させて走っていくためには、ボディもサスペンションも、強靭であるとともに、軽くて、柔軟性の高いものに整備しなおしていく必要があるでしょう。 それこそが、経済や財政、あるいは社会保障の構造改革な のです。

モノづくり企業の改革の必然性とその戦略 その14

奥田 碩 さんの講演内容です。

3.2.3 人材の育成

わが国にとって、一番大切なことは、人を育てるということでありま す。

最近、長引く経済の不振のなかで企業業績が思わしくなく、企業が人 材を育成する余力がなくなっている、というようなことがいわれます。

たしかに、たいへん立派な経営者のなかにも、「もう新卒を採用して 育てているのでは間に合わないから、中途採用で即戦力を採用したい」 とか「就職するときには即戦力に育っているような教育政策、 人材育成 政策が必要だ」などという人がけっこういますが、それだけではうまく いかないと思います。即戦力になるような実力のある人なら、欲しい企業も多くあり、当然そういう人の値段は高くなるでしょうそれを、企 業内で育ててきた人と同じ賃金で採用しようというのは無理というもの です。

雇用情勢はまだまだ厳しい状況にありますが、それでも採用してすぐ に即戦力になる人は少ないのが実情です。しかも経済は上向いています から、ますます即戦力になる人材の採用は難しくなってくるでしょう。

結局のところ、「これからの日本の教育は即戦力を育てなければいけ ない」などという他人任せの態度では、人材の確保は難しいのです。む しろ、いかにして優秀な人材を育て、やる気を高めて、会社に貢献して もらうかが、企業の競争力を決定すると考えるべきです。事実、日本商 工会議所が実施した「総合的人材ニーズ調査」の分析結果が商工会議所 のホームページに掲載されていますが、それを見ると、業績が拡大し、 成長している企業ほど、人材育成に積極的に取り組んでいることが明ら かにされています。

「業績不振だから、人材を育成していられない」などという企業に未 来はありません、業績不振であればこそ、歯を食いしばってでも人材育 成に取り組み、人材の成長と業績の拡大の好循環をつくっていかなければなりません。 人材育成は、決してコストではなく、研究開発投資などと同様に、将 来の企業経営を支えるための大切な投資なのです。

モノづくり企業の改革の必然性とその戦略 その13

奥田 碩 さんの講演内容です。

3.2.2 現場力の点検と再構築

 具体的には、知的熟練を蓄積した熟年層の技能者がリストラされた結 果、現場の技能の水準が低下し、それが相次ぐ工場の火災や事故などに つながっているとの指摘もあります。

そのような目で近年の事故やトラブルをみて見ると、現場の手違いや 手抜きがあり、これらは利益や業績を過剰に意識したための違反行為が 原因となっていることが多いように思います。その背後には、単なる規 律や気持ちの緩みといった問題ではなく、現場の人材の力、いわば「現 場力」といったものの低下を招く構造的な要因があるのかもしれません。

これは明白な証拠があるわけではありませんしかし、一連の事故の 大きな要因として、現場の熟練工や高度人材の減少、過度の成果指向に よる従業員へのプレッシャーが働いているのではないかという懸念は残ります。

さらにその背景として、世間に長期雇用や企業の雇用維持努力を軽視したり批判したりする風潮が広がったことを指摘する意見もあります。

一つひとつの現場の努力が国家経済の土台を支えており、その劣化を 放置しては技術革新も経済発展もありえません。私たちはこうした指摘 を謙虚に受け止め、 リストラに邁進するあまり、現場力の衰退を見過ごしてこなかったか深く反省し、再点検してみる必要があります。現場力 の維持は経営者の責任です。そして、わが国の現場力は、人間尊重と長 期的視野という、いわゆる日本的な経営によって長期間をかけて培われたものです。

これは技能に限ったことではありません。先端技術の分野においても、 長期間打ち込むことで身につく能力というものがたくさんあり、足元の 業績に気をとられ、将来的な技術力を失わないよう、注意が必要です。 今後、団塊の世代の人たちが大量に定年をむかえる時にきており、そう した人たちの培ってきたノウハウ技術を次の世代に、伝承させていくこ とも重要です。これらのことは、手遅れになる前に、その原点に立ち戻 って、PDCA サイクルが回っているか、 ノウハウ、技術の伝承がしっかりと、されているか、今一度検証してみる必要があると思います。

モノづくり企業の改革の必然性とその戦略 その12

奥田 碩 さんの講演内容です。

3.2 日本の次世代を担う強靭で高能力な人材づくり

第2番目の大きな課題は、「日本の次世代を担う高能力な人材づくり」です。

3.2.1 失われつつある日本のモノづくりカ

 今後、科学技術創造立国を目指すうえにおいて、技術者をはじめとし て、高能力な人材を多数輩出していくことがきわめて重要です。

気をつけなければいけないのは、科学技術創造立国を目指しているの は、日本に限った話ではなく、世界中のあらゆる国が「技術立国」を目 指している、という現実です。そのなかでわが国が先行していくためには、並大抵の人材育成では覚束ないものと考えなければなりません。

高能力な人材は、経済・社会のあらゆる場面で必要ですが、ここでは 特に、いわゆる「現場」で技能労働に従事する人に重点をおいて考えて みたいと思います。なぜなら、これまでのわが国では、高度な技能をもつ数多くの現場の技能者たちがモノづくりの国際競争力の強化と維持に 貢献してきており、これは世界各国と比較しても特色と優位性のあるわが国の強みだからです。

当然、こうした強みは、今後とも科学技術創造立国のためには欠かすことのできないものです。ところが、このところこうした技能の力が著 しく弱体化しているのではないかと懸念されています。

たとえば、国際技能競技大会、いわゆる技能五輪の成績を見てみると、 わが国は 1962年の第11回大会から参加しており、その後 1971年の第 21回大会までの10年間で金メダル獲得数第1位が6回、2位が4回という輝かしい戦績を収めてきました。

ところがそれ以降、わが国は韓国や台湾の後塵を拝することが多くな り、 第22回大会以降は、昨年の第 37 回大会にいたるまで16回連続で、 なんと一回たりとも韓国を上回る成績を残せていないばかりか、ベスト スリーにも入れなかった大会が7回もあるという残念な結果に終わっています。

これはもちろん、韓国や台湾がめざましい工業化を遂げたことがその 背景にあるのですが、その一方で、わが国におけるモノづくり技能者の 社会的地位の低下を反映したものであるという見方もあります。

技能五輪は、22歳以下の若者が参加するものです。決められた課題 を、より速く、より正確にこなしていくという意味では、22歳の若者 でも相当のレベルに達することができるでしょう。しかし、本当の意味 での高度な技能は、さらに長い時間をかけて形成されるものです。

とりわけ、最も高度かつ重要な技能である、予期しない変化や不確実 性に対応するノウハウ、いわゆる「知的熟練」は、長期にわたって、現 場の仕事を通じて生きた経験を蓄積することが唯一の育成方法だといわれています。したがって、モノづくり現場の仕事にじっくり取り組もう という若者が減ってくることは、わが国モノづくりの競争力に重大な悪 影響を及ぼしかねる事態であると考えなければなりません。

世間では昨今、バブル経済の頃に「3K」などといわれた影響もあり、 モノづくりの現場でまじめにコツコツと働くことが何となく格好悪いと か、長年かけて手に職をつけることよりも、他人を出し抜いて金を儲けることがもてはやされたりするような傾向があるように感じられます。 これは、大変危険な兆候であり、モノづくりにまじめに取り組む人たちが、もっと社会的に認知され、尊敬されるように、官民あげて啓発をはかっていく必要があるでしょう。

また、長期間をかけて高度な技能を蓄積させていくためには、長期雇 用のしくみが必要不可欠であることは論を待ちません。一時期、足元の 業績に目を奪われ、短期的な見方に傾き過ぎて、長期雇用のもっている、 いわば人材への投資とか、あるいは人材の育成とかいった側面を見逃が したり、軽視したりする傾向があまりに強くなりすぎていた時期がある と思います。最近、それに対する反省も広がっているようですが、こう した部分がおろそかになると、長期的に見た企業の発展を阻害しかねないばかりか、産業全体の競争力の低下を招くことになります。

モノづくり企業の改革の必然性とその戦略 その11

奥田 碩 さんの講演内容です。

3.1.5 技術ノウハウの保護・権利化と防衛

 科学技術創造立国戦略において、知的財産戦略は非常に重要であり、 モノづくり企業の改革も、これを抜きにしては考えられません。

(1)保護、権利化

前に述べたように、アメリカ産業の復活にあたっては、米国政府は、 自国の産業構造高度化のビジョンを描き、それを実現させるための環境

を整えたのですが、その環境整備のなかでも、もっとも重要なものの1 つが、知的財産の保護、いわゆるプロパテント政策です。

その結果、アメリカにおける特許出願件数は 1990年度の約16万4千 件から、2002年度には約33万4千件と、2倍以上に増加したといいま す。また、アメリカにおける知的財産関連の収入は、1990年には 150 億ドル(約1兆6,000億円)程度であったのが、2000年には実に 1,300 億 ドル(約 14 兆円)を超える規模にまで増加したという調査結果もあるそ うです。これは、タイやフィンランドといった国のGDPに匹敵する規 模であり、こうした数字を見れば、知的財産戦略を国家をあげて推進していく必要があることは、一目瞭然でしょう。 ・ 一方、わが国の実態は、国民一人あたり特許件数は世界一であり、決 して他国に劣るものではありません。しかし、国際収支統計における特 許等使用料の収支は恒常的に赤字であり、2003年にようやく黒字に転換したものの、そのおもな要因は製造業の海外現地生産の拡大によるも のだと思われます。今後、官民をあげて知的財産戦略をさらに強力に推進する必要があることは論を待ちません。政府においても、知的財産戦 略本部が中心となって諸般の施策が進められており、2004年に入って 以降も、特許法の改正や知的財産推進計画 2004 の策定などが実施され ました。ここでは2点、今後の具体的な課題を指摘しておきたいと思います。

(2) 著作権侵害への対策

第1は、特許審査の迅速化です。わが国の特許審査は、平均で2年5 カ月もの長期を要しています。ところが、このうち実質的に審査に要しているのは、実は5カ月間に過ぎず、残りの2年間は、単なる待ち時間 となっているのが現実だといわれます。常時数十万件という多数の出願 が審査待ちとなっているといわれ、2008年にはこれが 80万件に達する と見込まれていることから、待ち期間の短縮は、とりわけ喫緊の課題です。

わが国の特許出願件数は、年間 40万件を上回り、 アメリカの 33 万件、 ヨーロッパの11万件を大きく上回っているにもかかわらず、審査官の 人数は、欧米ではそれぞれ 3,000 人程度となっているのに対し、わが国 では約3分の1の1,000 人強にとどまってきました。今般、審査の迅速 化をめざした特許法改正が行われ、 2013年には世界で最速の審査体制 をめざすとの方針も掲げられましたが、審査の迅速化は、ベンチャービ ジネスの育成の観点からも重要であり、ぜひとも実効につなげてほしい ものです。

第2は、模倣品、海賊版対策です。模倣品や海賊版は、企業や著作権 者などのもつ無体財産権を盗み取るに等しいもので、 とうてい許しがたいものです。しかし、残念ながら、中国をはじめとするアジア諸国を中 心に、こうした権利意識が不十分な実態があります。こうした地域が急 速に工業化したことにともない、模倣品や海賊版の被害も急増しており、 関係団体の推計によれば、中国におけるわが国コンテンツの権利侵害の 被害額は、年間約2兆円にも達しているということであり、これはもはや放置することはできない段階となっています。

これに関しては、われわれ民間企業が、あらゆる模倣品や海賊版に対 して、それを許さないという強い姿勢をもって対処していくことが、な により必要であり、たとえば、キャラクター商品大手の「サンリオ」は、 同社のキャラクターを無断で使用していた商品を生産していた工場の摘 発と、被害品の押収に成功しています。

また、官民をあげての知的財産外交も、強力に推進していく必要があります。一昨年末には、国際知的財産保護フォーラムの座長であり、当 時経団連の副会長も務めていた松下電器産業の森下会長を代表に、当時 の西川経済産業省副大臣を政府代表に加えて、知的財産保護に関する官民合同のミッションが一週間にわたって中国各地を訪問し、模倣品の現 物を示しながら抗議するとともに、事態の改善を要請するといった取り 組みも行われました。

知的財産推進計画 2004には、模倣品・海賊版対策の強化も盛り込まれています。各国において知的財産の管理体制が確立され、権利が適正 に保護されることは、中長期的には各国自身の経済発展にも資するもの ですから、国際協力という見地もふくめ、強力な施策の推進をお願いしたいと思います。

モノづくり企業の改革の必然性とその戦略 その10

奥田 碩 さんの講演内容です。

3.1.4 日本が優位にある環境技術戦略

環境問題とエネルギー問題は、われわれ人類がその未来のためにどうしても解決しなければならない最重要の問題の1つであり、モノづくり 企業の改革にあたっても重要な観点となります。

(1) 省エネルギー技術

エネルギー自給率が 70%以上のアメリカや、100%を超えてエネル ギー輸出国となっているイギリスなどと異なり、わが国のエネルギー自 給率はわずか4%しかありません、先進諸外国の中で最もエネルギー資 源が乏しい、という厳しい制約を克服するために努力を積み重ねてきた ことで、結果的にわが国は、世界で最も優れた省エネルギー技術を達成 し、経済産業の発展を実現してきました。

わが国の産業部門におけるエネルギー消費量は、1970年代前半から 今日に至るまで、ほとんど増加しておらず、GDP あたりに換算してみ ると、1970年代前半と比較して 20%以上の効率改善となっています。 これは OECD 平均の2倍のエネルギー利用効率です。わが国は省エネ ルギー技術は、間違いなく世界最高の水準にあるといえるでしょう。現 に、燃料電池や太陽光発電といった新たな技術分野での取り組みも、世 界に先んじて進めています。

(2) 環境技術

また、環境技術と省エネルギー技術とは、重なりあう部分も大きく、 わが国において高度成長期に急速に工業化が進んだことの裏返しとして、 深刻な公害問題、環境問題に直面したことによって、この分野において も、やはり世界で最先端の技術を蓄積しているのです。

現在、地球温暖化防止に向けて、国際的な枠組みによる取り組みがはじまっていますが、すでに世界最高水準にあるわが国にとって、1990 年比で温暖化ガスの削減を求める京都議定書の目標達成は、大変高いハードルとなっています。しかし、そのハードルに挑むことが、世界最高 水準の技術を、さらに進歩させ、革新させることにもつながり、それは きわめて強力な競争力の源泉となるでしょう。

もちろん、国家的な課題としての二酸化炭素排出量の削減、京都議定 書の達成に向けての取り組みは、産業分野に限らず、あらゆる分野で進 める必要があります。わが国の場合はとくに、1990年以降排出量が増 加を続けている民生部門での取り組みを重点的に進める必要があるでしょう。とはいえ、企業においても、より一段の省エネルギー、環境対策 に取り組むことは、技術力、競争力の強化という形で、企業改革の成果 に結びつくのです。

わが国は、循環型社会への転換を国是として、地球環境との共生を可 能とする日本企業の製品、技術やビジネスモデル、あるいは日本国民の ライフスタイルを国際社会で活発に展開することで、全世界の循環型社 会への移行を後押しするというシナリオを、将来の競争力戦略としていくべきでしょう。

2001年、ヨハネスブルグで、国連環境開発会議、ヨハネスブルグ・ サミットが開催され、その場で欧州が、自分たちが優位にある再生可能 エネルギーの利用率について、一律の数値目標の設定を提案しました。 その真意は、環境改善そのものというよりは、自分たちの取り組みをグ ローバル・スタンダードにして、ビジネスチャンスを拡大しようという ところにありました。 このように、これからの時代は、環境問題はコス トではなく、むしろ新たなビジネスチャンスなのです。

(3)燃料電池

 環境について現時点で最も有望な技術のひとつとして、燃料電池があります。これは要するに水の電気分解の逆をやるという原理で、水素と 空気中の酸素を使って水をつくり、その際に発生するエネルギーを取り 出そうというもので、究極のクリーンエネルギーとして注目されていま す。 自動車に対する応用に期待と関心が集まっているようですが、自動 車に限らず非常に応用範囲の広い技術であり、すでに工場の自家発電な どでは多数の実用例もあります(図 3.5参照)。

ここで注目すべき点は、燃料電池のような画期的な技術が実用化され ると、産業や技術に大きな変動をもたらす可能性がある、ということで す。 エネルギー産業だけではなく、モノづくりへの影響も考えられます。 自動車産業はもちろんですが、アルコールを使うタイプの燃料電池は発 電効率には劣るものの小型化が可能なので、たとえば充電の必要がない 電源として、 ノートパソコンへの応用が期待されています。

技術革新の進展によっては、石炭と蒸気機関による第一次産業革命、 石油と電力による第二次産業革命に続いて、水素と燃料電池による第三 次産業革命が起きるという予想をする人もいます。 「科学技術創造立国」 の切り札のひとつとして、産業界も技術開発と実用化、商品への応用に 取り組んでいかなければなりません。