豊田一族は一代一事業

豊田一族は一代一事業という豊田家のモットーがあるそうだ。ホントかどうか知らんが。

ちなみに

豊田佐吉は織機の自働化をなしとげ豊田紡織をつくり豊田自動織機の礎をつくった。

豊田喜一郎は豊田佐吉の意思を継ぎ豊田自動織機を設立し、その豊田自動織機の中に自動車部門を設けトヨタ自動車をつくった。

豊田英二は豊田喜一郎から久しぶりの豊田家の社長となった人である。トヨタ自動車倒産の危機を乗り越えトヨタが世界販売に出た。大野耐一トヨタ生産方式を生み出した。またトヨタ学園およびトヨタ財団をつくった。この時代にトヨタ自動車の足固めができたと思う。以降の社長はトヨタさらなる発展させた人だろう。「トヨタ中興の祖」と言われている。

豊田章一郎はトヨタの世界進出をなしとげ、またトヨタホームをつくった。

そして豊田章男Gazooを作り、さらに町(ウーブン・シティ)を作ろうとしている。

このように豊田一族はとても素晴らしい人が多い。なかには堕落した人もいると思いが、おお金持ちになり周りからちやほやされると、多くの人はダメ人間になりがちだが、豊田の人はとても志が高く尊敬できる方が多い。

豊田佐吉の「子を開けてみよ。 外は広いぞ」の名言はとても素晴らしいと思う。当時の情報が少ない社会の中でこんな言葉を発せれるとは。

また豊田喜一郎も一から自動車を作り出し、その生産拠点を当時はとんでもない田舎の豊田に構えたのはすごい。当時はとても田舎だったので周りには当然食事するところもなかったそうです。そのため車作に没頭できたとのことです。

豊田英二は叔父である豊田喜一郎の意思を継ぎトヨタを飛躍させるために尽くした。北米へ渡り北米のモータリゼーションを目のあたりにして持ち帰った。

豊田章一郎はトヨタを世界に進出させトヨタを世界一の礎をつくった。また後任の社長を奥田 碩を選び影ながら影響を及ぼしトヨタを成長させた。

豊田章男はトヨタ自動車へは中途で入社したが下済みから仕事を教わり、またトヨタが北米で訴訟になり勝ち切ったとき従業員と一緒に喜び、従業員に感謝した姿はとても感動しました。そしてトヨタ系で問題があったとき逃げずに誠意をもって対応している。

素晴らしい人たちです。

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