谷口孝男語録 その1

社長になった谷口孝男さんが昔し語った話を書いていきます。

なかなか良い話しがあります。  その1

「若手管理者としての今後やるべき仕事とは」
(’ 94.5.25若手管理者研修会にて)

次期若手管理者が一同に集まって議論する機会はありそうでなかなかないので、できるだけこういうチャンスを有効に活用された方がいいと思う。

今回は日頃考えていることをざっくばらんに話していきます。

まず最初に、私の入社以来の経緯について話しておきます。私は愛知工業に最初入りまして、すぐアイシン精機になりまして、その後3~4年してボルグワーナーとアイシン精機の合弁会社であるアイシンワーナーというオートマチック専門の会社へ移りました。入社以来、オートマチックの開発、設計をずっとやってきたわけであります。そして、現在に至っているわけです。

最初アイシンワーナーができた時には、アイシン精機から移ったわけですが、技術部は諸戸会長以下、女性を含めて12名でスタートしたわけです。12 名で何をやるのかと、アイシン精機の方は「ボルグワーナーから技術導入してやるのだから、技術部はボルグワーナーの図面をコピーしておればいいんだ。コピーして名前のところだけ張り替えてやっとけばいいんだから、その位の人数でいいだろう。」ということでした。

しかし、我々としてはアイシン精機から出た以上、しかもトヨグライドの特許の閑係もあって、トヨグライドがボルグワーナーの特許に引っかかるのでどうしても合弁会社を作らないといけないというわけで作って、それが最初から4万台の工場を作るという壮大な計画で入タートしたのですから戻るに戻れないわけです。

しかも、いくらボルグワーナーの導入技術だといったって本当にうまくいくかどうかということで大変だったわけです。それでまず人集めから始めて、エンジニア集めから始めてやってきたわけです。そいうふうに会社ができたのが1 9 6 9年で、最初の3速のオートマチックトランスミッション(以下A/T)製品ができたのが1 9 7 2年ですから、わずか3年くらいしかなかったわけです。

その間に4万台生産の工場建設、開発、設備調達を同時にやらなければならなかったわけです。今から思うと、あの時はベクトル合わせとか全社一丸とかいう言葉はひとつも使わずに全社一丸となっており、ベクトルも合っていました。

あの時が仕事は忙しかったのですが精神的には安定していたような気がします。今の方がよっぽど精神的には不安定です。ごちゃごちゃと余分な情報が入り過ぎて精神的には苦しいです。そういう意味では、こうしたはっきりしたひとつの目標があるということは仕事がやりやすいなと思います。だから、トップの方は鮮明な確固たる目標を出さないと下が動揺するし、考えが変な方向へいってしまう。あるいは色気が出てくるというような、おかしなことがいっぱい出てくるようになると思います。会社が大きくなればなるほどそういう傾向があるのではないかと思います。

アイシン・エイ・タブリュも最近大きくなりまして、従業員数5 , 0 0 0名、売上高3 , 0 0 0億円という大きな会社になりましたから、ある意味では今が大事な時だと思います。

カテゴリー: AW

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