谷口孝男語録 その3

社長になった谷口孝男さんが昔し語った話を書いていきます。

なかなか良い話しがあります。  その3

私はこの頃はまだ新入社員で、そして77年のデ賞の時に課長になってデ賞で発表させられて、N賞も全面的に発表させられて、この間にPM賞・PM特別賞があり、これも前面的に発表させられて、91年のN賞パートⅡでも発表させられました。合計5回発表してきているのですが、その時はよしわかったと思っていたのですが、回が来るごとにまだまだレベルが低いなと実感し今日まで来ているわけであります。

ということは、先はどんどんあってレベルを上げる余地は十分ある。また上げなければいけないことだと思います。

だから、挑戦的なものを持たないと、まあまあで行こうと思っているとおそらく10年も経てば相当差がついているだろうと思います。まあまあでもいけるんですよ。だいたい仕事というのはまあまあでもいけそうです。まあまあでも悪いことをしているわけではないし、たるんでいるという見方もされない。よくやっているという見方もされるんですが、10年経って見ると大きな差が出てくるような気がします。

だから、チャンスがあるなら集中力を出してその場その場でものにしていかないと、あとでゆっくりものにしいくわけにはいかないような気がします。今日こういう研修会も息ぬきと同時に、色んな人がいて、色んな考え方があるというのを実感するということで非常に重要なのですが、何か1つか2つは身につけて帰らかといけないと思います。ここで聞いたことをあとで思い出して、現場に帰ってから実践しようということは不可能だと思います。

従って、この場で何かをつかみ取って頂かないといかんのではないかと思います。最もそれをつかめるだけのいい話ができるかどうかは別ですが。色んな人がいるし、色んな考え方がありますし、自分が日頃考えていたのと違う考えもございますので、そういう世界があるということを実感として体得して頂きたいと思います。

私が技術開発ばかりやってきたのでこういう話になりましたが、できるだけ技術開発だけでなく、他のことも話をしたいと思います。これは私のことではなくうちのトップの話ですが、技術、技術者とは何かといった場合に、うちのトップに言わせると「お客に初めて役にたった時が技術だ」といっています。

だからずっと研究していてもなにも世の中に出なければ、それは研究者でもなければ、技術者でもないというようなことで、非常にきつい言い方をするわけです。というのは号ロになって顧客に売れた瞬間にこの件についてはもう技術屋でなくなっているということです。次の技術屋なるためにはまた次のものの開発に入らないと次の技術屋ではないという、考え方として非常に厳しい教育をされてきたわけです。

例えばエジプトのナイル川が氾濫した時に、堤防が決壊したら大変なことになる。町が全滅するわけですが、その時に決壊するのを防ぐ技術に着手していたのでは遅いんです。堤防が決壊するのを防ぐ技術の開発に10年かかるのであれば、10年前に開発に者手しなければならないわけです。しかし、堤防はいっ決壊するのかわからないわけで、わかっていれば10年前に着手するわけです。それが研究開発の難しさだと私は思います。

これは考え方ですが、アイシン・エィ・ダブリュのA/Tは国内9社、海外9社へ納めていて、A/Tとしては世界をリードする立場にあるわけですが、なぜこんなところまできたのかなということを豊田名誉会長、諸戸会長のいろんなやり方を振り返ってみると、やはりここが重要だと、「トップが強い意志、高い目標を持続していた。」ということだと思います。

それとそれをまともに受けてリーダーがまじめにやってきて、それがずっと下まで展開してきているのだと思います。トップというのはリーダーの最頂点ですが、皆さんも課長になられて、ある範囲のリーダーですからリーダーのあり方を今後考えてもらわないといけないわけです。

カテゴリー: AW

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