モノづくり企業の改革の必然性とその戦略 その5

奥田 碩 さんの講演内容です。

2.3 産業構造の転換によって復活したアメリカ

同じ時期のアメリカと比較してみると、この時期のわが国の対応がいかにまずかったかは一目瞭然です。 アメリカ経済は 1980年代に大変な 苦境に立たされ、国家戦略として、国を挙げて経済の復活に取り組みはじめました。

まずは、政府が通貨政策に取り組み、 1985年には先進5カ国が協調 してドル安、日本からみれば円高に誘導するという「プラザ合意」の成 立にこぎつけることで、通貨政策を通じて国内産業の競争力の低下に歯 止めをかけました。これで空洞化を食い止めるとともに、日本企業など の現地生産を促すことに成功したのです。さらに、おもに日本企業のベンチマークを通じて、製造業の復活に取り組みました。日本企業が TQCを取り込み、成功し、デミング賞の獲得競争が品質管理水準の向 上に大きな成果を上げていることがわかると、当時すでに80歳の高齢 だったデミング博士が再評価され、全米の品質管理運動の先頭に立たされました。また、日本のデミング賞と同様のものとして、米国は 1987 年に、時の商務長官の名前にちなんだ「マルコム・ボルドリッジ国家品 質賞」を議会が設立しました。 その他にも 、 シックス・シグマやタグチ メソッドなどの統計的品質管理手法が展開され、官民あげて日本への 「逆キャッチアップ」を推進して、製造業の復活につなげていきました。

さらに重要なポイントは、こうした従来からの供給サイドを強化する 施策だけではなく、付加価値が低下し、競争力の確保が難しくなった製 造業に代わって、より付加価値の高いIT 技術と金融技術とに産業構造の中心をシフトさせていくという、新しい成長戦略を打ち出して、その ための政策を重点的に実施していったことです。具体的にいえば、国際 的な金融自由化の推進や、当時のゴア副大統領による「情報ハイウェー」 構想といったインフラの整備を、国家戦略的に進めました。

こうして、アメリカは新しい成長のエンジンを獲得し、産業構造の転 換に成功しました。 結局のところ、日米の現実を分けたものは、1980 年代後半という、 グローバル化と IT 革命が進展した重要な時期に、国 家経済に対する危機感をもっていたかどうかという意識の問題と、それ を踏まえた国家的な産業政策の巧拙の違いであったということです。

2003年度の下半期あたりから、日本経済はかなり明るさを増してきました。いまの日本経済を引っ張っている主役のひとつがデジタル家電 で、これは電機各社がバブル崩壊後の厳しい時期、苦しいリストラに取り組みながらも、歯を食いしばるようにして研究開発を続けてきた、そ の成果が現れたものといえるでしょう、このような民間の活力が生きて いるうちに、これからの国家経済を支える新しい産業政策のビジョンづくりとその推進に強力な取り組みが求められます。そして、そのビジョ ンと戦略に沿って、モノづくり企業も改革に取り組まなければならないのです。

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