AW物語 低燃費化

 豊田英二さんが1950年アメリカを訪問した際に、アメリカは既にモータリゼーションとなっており、広大な土地に多くの車が走っている状況でした。

 日本と違って、アメリカのガソリン価格は安く、ガソリンをがぶ飲みしてドンドン車を走らせる状況でした。それを見て日本人である豊田英二さんは、

燃費の良い車を作らなくては。

と思ったそうです。それを受けてアイシン・ワーナーはマニュアルミッション(以下M/T)より当時燃費が悪いオートマチックトランスミッション(以下A/T)の燃費を良くする開発をしました。それが、

1)2速から3速のオートマチック
2)オーバードライブ
3)ロックアップクラッチ
その後、燃費向上のさらなる開発をいくつも量産化してきました。

 そのたゆまない努力で幾つもの燃費向上の取り組み積み重なり、今では欧米のA/Tと比べアイシン・エィ・ダブリュ(以下AW)のA/Tは圧倒的に優位になった。

 最初に、燃費向上に目を付けた豊田英二さん、そして其の意を汲んだ豊田稔さんは先見の目があったと思います。

AW物語 genesis編

AWの現在については前回の「序章」で書いたが、今回は

AWが産まれたgenesis(起源)

について書きます。

AWはトヨタ用のオートマチックトランスミッションであるトヨグライドの生産会社として設立されました。

トヨタ自動車 (以下トヨタ) 5代目社長の豊田英二さんが北米に視察に行ったときは既にアメリカはモータリゼーションであり車が沢山走っていた。そして既にオートマチックが搭載されており、

なんてイージードライブな装置だ!。

と感動したそうです。早速日本へ帰ってトヨタの中でオートマチックの開発を始めてトヨグライドを開発した。

トヨグライドはトヨタで生まれトヨタで生産スタートしましたが、トヨタの生産拡大に伴い外製化されトヨタグループのアイシン精機に移管されトヨタ車に搭載されました。

アイ シン精機は豊田英二の従妹であるトヨタ佐助の息子の豊田稔(豊田英二の従妹)が社長をしているトヨタグループである。

ところが、このトヨグライドが欧米のボルグワーナー社の特許に基本的な機構に抵触していることが発覚したので、対応策としてアイシン精機とボルグワーナー社と出資50:50の対等の合弁会社 であるアイシン・ワーナー株式会社(以下AW)を設立し、そのAWへ生産移管された。

トヨタ自動車→アイシン精機→AW

と生産が移ったわけです。

ちなみに、日本ではオートマチック専門会社はAWとJATCO( 日本自動変速機株式会社 )の2社のみで、JATCOもフォードの合弁会社でスタートしております。