AW物語 諸戸脩三編

 アイシン精機から分社した時に技術の係長で出向されてきた方です。AWの2代目の社長が”諸戸脩三”です。この方は大変すばらしい方でとても使命を持っていました。自分の役割、オートマチックの目指す姿。

東京に研究所を設けたのもこの人です。三河のゆったりした気候では革新的なアイデアはでない。日本、世界で最先端の技術が集まっている東京に出て最新技術の情報を得なければ革新的なアイデアは出ないとのことで東京に研究所を作ったそうです。

ナビ編でもご紹介しましたが、この方がナビの推進をした人です。ナビの開発し始めは、社内の多くはナビなんかAWがやっても物になるわけない。デンソーや家電メーカーに勝てるわけない。が多数の意見でした。ナビ開発のために子会社も何社かつくり、海外の企業とも技術提携しました。当初はナビにテレビ電話機能も付けることも検討していて、その為には特殊な電子素子が必要でその素子を海外の企業が技術をもっていることでしたが、結局その企業の素子では役割を果たすことができず、当時はテレビ電話は断念しました。そんな状態ですので一部の方からは気が狂ったと思われていたそうです。

 しかしながら大変しつこく進められたので今のAWのナビがあります。AWのナビのシェアは日本ではNO1です。

 それというもの「トップの理解があったから進められた」「トップが見てくれたから頑張れた」と言っていました。

AW物語 海外引合い編

アイシン・ワーナー株式会社(以下AW)はボルグワーナー社とアイシン精機株式会社と50:50の合弁でスタートしました。

ボルグワーナー社とAWと交わした商圏は、AWは日本含めたアジアとし、ボルグワーナーア社は欧米となってたそうです。

当時は日本含めアジアには車は高価であり普及しておらず、イージードライブのオートマチック車はとても普及されると想像できず、ボルグワーナーはアジアは見切り欧米のみ確保したようです。

AWはトヨタ向けのオートマチックトランスミッション(以下A/T)を問題なく供給するのに精一杯でした。特に品質には万全を期して取り組んでました。とても拡販する余裕などない状況でした。

当時の欧米のA/Tはとても品質が悪く

「トルコン車は故障するもの」

と当たり前のように言われてました。

しかしボルボもA/Tを取り入れようとして各カーメーカーのA/Tを調査した結果、トヨタのA/Tが故障しない。品質が良いと評価し、ボルボ社から直接、AWに引き合いがありました。

ボルグワーナー社に状況を説明し納得してもらい、初の海外カーメーカーと1975年に取引が始まりました。

月額290円から使える次世代クラウド型SSDレンタルサーバー【JETBOY】

AW物語 綱引き編

今の立派なアイシン・エィ・ダブリュ株式会社(以下AW)があるのはAW初期の方々が企業風土含め製品を開発してくれたおかげだと思います。特にAWの開発の人たちはすごいです。開発が頑張ったから今のAWがあると思います。

AWの始まりは アイシン精機から分社して ボルグワーナー社と合弁となったので、 得体のしれない会社でありリクルートしてもろくなのが集らなったようです。 当然創業期は優秀な賢い人は入ってこなかったです。

ただ、頑張り、パワーはすごいです。

私の同期の者も何人かいますが、毎日夜の12時を回って仕事をしていました。土曜日は当然毎週、日曜日も出ていました。月の時間外労働時間は200時間を超えていました。200時間というと、毎日11時までやっても月の時間外は100時間しかならなので、休出はあたりまえでした。当然半分ぐらいしか認められなかったです。(今は全部認められてます)ある時は朝の3時まで、その次の日はさらに朝の5時までやって家に風呂に入りに帰ってまた会社に来て、さすがに土曜は2、3時間の残業のようでしたがとても大変そうでした。私はまだ楽な方でして毎日11時、土曜日も毎週出勤していたぐらいです。

そんな開発部隊が頑張っている姿が伝わってくるから、生産部隊もその開発の頑張りに負けないようにと頑張る風土ができています。このように開発と生産がお互いに綱引きするようになっているとどんどん良くなっていきます。これが逆に、開発が楽をしているから生産も楽をしようと引っ張り合いするとだんだん悪くなっていきます。だから開発方にはぜひ頑張って引っ張っていってほしい。

 AWの最初の開発のリーダ、諸戸さんですが、とても素晴らしいひとでした。AWは41年前にアメリカのボルグワーナー社と合弁で始まりました。合弁で始まりましたワーナ社は実は日本に技術を伝える気がなかったようでした。AWの技術者がワーナ社に技術打ち合わせに行ったとき、図面の開示をしてくれませんでした。会議室に物だけ並べられて、ワーナの人は出てってしまし残されたのはAWの技術者だけでした。そんな時、その諸戸さんは突然、白紙にワークを載せ鉛筆でトレースし出しました。このようにワーナ社から技術を盗んで日本で良いA/Tを作れるようになりました。

 AWはアイシン精機の子会社として作られ、作られたときアイシン精機からAWに移った方はすごく屈辱を感じていたようです。だからより一層頑張っていたようです。

 AWがナビを最初に開発していたとき、お客さんトヨタで打ち合わせをして夜8時ぐらいに終わって色々宿題事項をもらいました。すると打ち合わせに一緒にでていた上司が、「よし会社に戻って、打ち合わせをやるぞ!」と言い出し、AWへ戻って9時ぐらいから打ち合わせをして、明日再度報告することになり、明け方まで担当者は内容をまとめることとなって大変だったそうです。しかし翌日に回答の打ち合わせしたので、トヨタ側も完璧な資料は求めていなく報告を聞いてくれコミュニケーションが深まり信頼関係を築けたそうです。

 元トヨタの社長の渡辺さんがAWへ来たときその話をしてくれました。「前日の夜まで打ち合わせをして翌日その質問事項について回答してきて、なんてレスポンスの良い会社だ。目を真っ赤にしてきて、昨日は夜遅くまでやったんだろうな。頑張ったんだな~。」と感心したそうです。

 このように、頑張ればお客さんはその場では言いませんが、心の中では見てくれています。だから、すぐに受注に結び付かなくても気を落とさなく地道に頑張っていきましょう。

AW物語 genesis編

AWの現在については前回の「序章」で書いたが、今回は

AWが産まれたgenesis(起源)

について書きます。

AWはトヨタ用のオートマチックトランスミッションであるトヨグライドの生産会社として設立されました。

トヨタ自動車 (以下トヨタ) 5代目社長の豊田英二さんが北米に視察に行ったときは既にアメリカはモータリゼーションであり車が沢山走っていた。そして既にオートマチックが搭載されており、

なんてイージードライブな装置だ!。

と感動したそうです。早速日本へ帰ってトヨタの中でオートマチックの開発を始めてトヨグライドを開発した。

トヨグライドはトヨタで生まれトヨタで生産スタートしましたが、トヨタの生産拡大に伴い外製化されトヨタグループのアイシン精機に移管されトヨタ車に搭載されました。

アイ シン精機は豊田英二の従妹であるトヨタ佐助の息子の豊田稔(豊田英二の従妹)が社長をしているトヨタグループである。

ところが、このトヨグライドが欧米のボルグワーナー社の特許に基本的な機構に抵触していることが発覚したので、対応策としてアイシン精機とボルグワーナー社と出資50:50の対等の合弁会社 であるアイシン・ワーナー株式会社(以下AW)を設立し、そのAWへ生産移管された。

トヨタ自動車→アイシン精機→AW

と生産が移ったわけです。

ちなみに、日本ではオートマチック専門会社はAWとJATCO( 日本自動変速機株式会社 )の2社のみで、JATCOもフォードの合弁会社でスタートしております。

AW物語 序章

私のよく知っている超優良企業「アイシン・エィ・ダブリュ株式会社」について超優良となった歴史から背景・理由について物語を書いていきます。

今回は序章として現在のアイシン・エィ・ダブリュ株式会社(以降AW)の概要を記述します。

本社は日本のデンマーク(農業国)と言われる田園の多い安城市にあります。

従業員数は、単独で 18,817名(2018年3月31日現在)

売上高は、単独で 1兆3,843億円(2018年3月期)

と超ビッグな企業でありながら非上場の製造会社です。

取扱品目は、

の製造と販売です。

トヨタグループアイシン精機株式会社の子会社です。

トヨタ自動車からすると、孫会社になります。